大嶋先生のお師匠さんのアホセラピーの大切さが身に染みるんです。
「あるようでない、ないようである」とね。
ただ、無意識になることで人間の可能性が「ある」とされちゃうとアホセラピーじゃなくなっちゃうんじゃないか。
お師匠さんが「冴えないおっさんのように見えた」と大嶋先生が書いていて、吉本先生の他のお弟子さんたちが異議を唱えたと読んだことがありますが、
そこに、吉本先生を無意識=カリスマ=すごいセラピーとして捉えるか、無意識と意識の統合=冴えないおっさん=アホセラピーとして捉えるかの違いがある気がするんです。
(「冴えないおっさん」として見る見られるって、無意識と意識の統合がそこにあるからこそだと思うんです。
無意識の世界にぶっとぶだけだと、「キラキラなカリスマ」として見る見られるということになると思うんですね。
だから、吉本先生を「冴えないおっさん」と言い切れるのは、意識と無意識の統合されるアホセラピーをしている大嶋先生だからこそのような気がします。)