B1C
そんなふうに、M山さんと議論を交わす日々。
ある日のこと、朝、起きた。私の部屋の前には小さな林があって、窓からその林が見えていた。昇ったばかりの太陽の光が林の木々を照らしていた。そんな光景はおそらく何百回も見てきただろう。何の変哲もない光景、ありきたりの日常の始まり…
のはずだった。
ところが、その光景が生まれて初めて見たかのように見える。というより、今、ここにある世界が、自分も含めて創られたばかりの世界のようだった。
顔を照らす光も自分が吸っている空気も大空も、自分を受け入れて祝福しているように、自分という存在を喜んでいるように感じた。
その瞬間、急に、『神はいる』と思った。
あれほど、『神はいない』と強く思っていたのに、『神はいる』という確信が自分の存在から溢れるように湧いてきた。
いつまでも涙がとまらなかった。
さらに、ある日、テレビで「ブラザーサンシスタームーン」という映画を見た。
イタリアのアッシジのフランチェスコという中世の聖人と言われる人を描いた映画だった。
フランチェスコは富裕な商人の息子で、十字軍の英雄になることに憧れていた。そして、ついに十字軍に行くことがかなうのだが、そこで見たのは単なる殺し合いの現実だった。現実の悲惨さに絶望し、戻ってきて、寝たきり状態になっていた。
ある日、床に伏せっていると、雀が鳴いている声が聞こえ、その雀に誘われるようにして屋根に出て、輝いている自然の美しさに心打たれる。
同時に、それが神との出会いであり、彼は何もかも捨て、町のはずれにある廃墟となっている教会を、貧しい人たちや病人たちとともに、自分の手で築き直し始める。
そのうち、親友のベルナルドが十字軍の英雄になって帰ってきた。
旧友たちが集まり、宴会が開かれる。
しかし、そこに親友がいない。
「フランチェスコはどこにいるんだ」
友人たちは息を呑み、押し黙る。
「なぜ、黙っているんだ。大切な友達だろ」
…彼らは重い口を開く。
「あいつは神を見たと言うんだ。頭がおかしくなって、町のはずれの教会を立て直している。ベルナルド、お前は英雄だ。もう忘れろ、関わりを持つんじゃない」
ベルナルドは町のはずれの教会に出かける。
雪が降っているなか、フランチェスコは裸足で、歌いながら石をひとつずつ積み上げている。
場面が変わり、暖炉があかあかと燃えている。暖炉の前には切り出した石がいくつも置いてある。フランチェスコとベルナルドは向かい合って座っている。
ベルナルドは十字軍がどれだけ虚しい絶望的なものであったか語る。
フランチェスコは、飲み物を飲みながら、黙って聞いている。目には暖炉の火の輝きが映し出されている。近くにあった大きくてどっしりした石に触れている手。
「この石はどこにあるんだ?」
「町のはずれの石切場にたくさんある」
ベルナルドが何か言いかけた次の瞬間に、フランチェスコの瞳がまっすぐに見据えて、
「君も神の霊の宮のひとつの石として築き上げられないか」
その時、画面を見ている私の目に何かが飛び込んできて、胸に突き刺さるような気がした。