無意識さんとともに

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ごめんね、Aちゃん

ふと、Aちゃんのことを思い出した。

Aちゃんと出会ったのは、私が大学生の時、家庭教師のバイトで通っていた家だった。

その家というのは、中古自動車販売を営んでおり、また家でキリスト教の集会をしていて、キリスト教界のいろいろな有名な牧師とかも出入りしていた。それだけでなく、世話好きの夫婦で、知り合った人を年齢を問わず、家に招いていた。

私は、教会の人から紹介されて、その家の息子さんに英語を教えていた。

Aちゃんは、父親がN放送のアナウンサーであり、市ヶ谷に住んでいるお嬢様女子校に通っている高校生だった。なぜ、話すようになったのかは覚えていないが、会うと話して、また手紙のやりとりを、向こうからは丸っこい字の手紙を、私の方から活字のような字の手紙をやりとりしていた。

お互いにクリスチャン同士ということで、キリスト教の話とかふだんの悩みとかを話していた。

その家の夫婦や息子さんと、Aちゃん、またクリスチャンの外国の方と車で出かけることもあったが、Aちゃんが英語で外国の方に話しているのが印象的だった。

私は大学が市ヶ谷にあったので、Aちゃんとお茶を飲むこともあった。

Aちゃんは私の詩を高く評価してくれていて、Aちゃんに自分の詩を書き溜めたノートを貸したりした。

「わたしは心配なの…いつか結婚して…子供が生まれて…子供が大きくなって誰かに恋したら…相談に乗ってあげられないことが」

「どうして?」

「だって、私は恋愛の経験がないもの」

そのように、Aちゃんは未来の仮定の話をして延々と悩みを作り出す。

Aちゃんは、私が通っていた東村山の教会の合宿とかに来ることもあった。

そうして、もう私がその家に出入りしなくなった後に父が亡くなったのだが、律儀にも私の父の葬式に駆けつけてくれた。

その後、私は救いを求めて、もっと過激なキリスト教会に行くようになっていた。

その教会の教えでは、人間は、クリスチャンであるなしを問わず、悪霊に影響されているので、愛の行為として誰彼を問わず、悪霊を追い出す祈りをしないさいという狂気じみたものだった。

ある時、私はAちゃんに電話をした。Aちゃんの相変わらずの悩みを聞いた後、私はちょっとイライラした。そして一瞬戸惑ったが、思わず言ってしまった。

「キリストの御名によって命じる、Aちゃんについている悪霊よ、出ていけ」

二度と連絡がつかなくなったのは言うまでもない。

今思うと、自分がはまっていた愚かさと狂気に恥いるばかりである。

 

ごめんね、Aちゃん。

そうして