無意識さんとともに

https://stand.fm/channels/62a48c250984f586c2626e10

催眠!青春!オルタナティヴストーリー 56〜その後

U

ぼくたちは依存し合っていたのかもしれない。もちろん、それはその時で必要な依存だったのだろうけど。

ぼくははまっちのことばかり考えてはまっちを生きていたし、おそらくはまっちもそうだったのだろう。ぼくたちはそれぞれが片割れで、ふたりで一人前になろうとしていたが、実はそれは相手の中にいる自分を救おうとしていただけなのかも知れない。

恋愛とはそういうものだと言うけれど、大人さえもそう言うかも知れないけれど、ぼくはそれでは満足できない。

はまっちの中にいる自分ではなく、自分は自分を生きて、はまっちそのものと出会いたい。

それがいつの日になるかわからないけれど、だからぼくはぼくの小道を歩んでいく。はまっちは隣にいない、はまっちの手の温もりだけを感じて、ひとりで、でも目に見えない無意識というガイドに導かれて。

H

だいぶ落ち着いてきてはいるけれど、うえっちが引っ越しして遠くに行ってしまい、同じ中学に行けないことがもう十分わかってはいるけれど、それでも寂しくたまらない、心細くてたまらない。わたしの居場所は今もうえっちの胸の中、あの小屋だけのような気がしてならない。そんなことを思って、部屋でひとりでいたら、いつのまにか眠って、まぶしくて目が覚めると朝陽が顔を照らしていた。

外から、チュンチュンと茶色の愛らしい服を身につけたあの小鳥が、つがいなのか二匹、屋根で飛び跳ねて遊んでいるのが聞こえる。

いつか、わたしたちも何のためらいもとまどいもなく、この雀たちのようになれるのかな。

『大丈夫だよ』、心のどこか奥底から呼びかけられた気がして、わたしは思わずひとりで立ち上がった。

それからは、あっという間に時間がすぎていった。ぼくたちはもちろん、たびたび会ったが、あの小屋に行くことはなかったし、夢の中でもあの小屋に行くこともなかった。

すべてが割り切れたというのではない、いつも心には鈍い痛みがあった。けれど、ぼくたちは進むことを選択したのだ、ぼくはぼくを、はまっちははまっちを生きて、生活するだけだった。

年が明けて、ぼくは隣の東村山市に引っ越しした。二階建ての一軒家から追い出されて、借家の平屋に移ることは母と父には大きなことらしかった。

けれど、ぼくにはどうでもいいことだった。

ぼくは卒業まで、同じ小学校に通うことになった。小学校にはバスで通った。はまっちと会うことはさらに難しくなったが、ぼくは真っ白なサイクリング車に乗って、久米川駅から清瀬駅まで続くバス通りを走り抜けて、はまっちに会いに行っていた。