無意識さんとともに

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心の声は神の声にあらず

無意識には、無尽蔵に、無限に知恵がある。

といっても、無意識は神ではない。

だから、心の声を聞くといっても、心の声は神の声ではない。

心の声を絶対に正しいものとして神の声にしてしまった時、宗教が始まる。

オルタナティヴストーリー(alternativeとは『いくつかあるうちから選びうるどれかひとつの』という意味だ)が唯一絶対無謬のストーリーに変質してしまう。

人は、神になろうとしてやまないものだ。

全てを破壊して破壊の神になろうとし、全てを創造する唯一絶対無謬のストーリーを生み出して創造の神になろうとする。

神の声を聞き、唯一絶対無謬のストーリーを語るものは神と言ってもよいのだから。

けれども、元々が無意識さんの声であったとしても、それが唯一絶対無謬の物語に変質してしまったものの中には、もう無意識さんはいない。

無意識さんは、風のように自由で、人の作った枠組みには囚われないのだから。

「風をつかまえることがどうしてできようか?

さあ、箱に入れて風をつかまえたと思っても、そこにあるのは、もはや動いている風ではなく、動きをなくした澱んだ空気だけだ。

あなたが、その箱を後生大事に抱えて、『さあ、みんなここにおいで。ここに全てのものを活かす風がある』と言いまいても、死んだ空気があるばかり。

活きた風は、あの大空を飄々と吹き回り、時にうなだれた人のもとのところを訪れて、心の雲をたちまちにして吹き払い、心を爽やかに元の姿に変えてゆく。

誰もその動きを予想することもなく、操作することもなく、つかまえることもない」