わたしとママの住まいは、六畳一間の部屋になった。あとは狭いキッチンが付いているだけだ。ママは以前から寝込んでいたが、家を出てからはほとんど毎日、布団から起き上がれなくなった。パパがわたしたちを連れ戻しに来るということもなく、ある日、何の手紙も入っていない離婚届が一枚切り送られてきただけだった。
ママはようやくのこと、上半身を布団から起こして、何の感情も表さずに、離婚届に判を押した。
「わたしとパパは、ずっと前から、もうすでに終わっていたのよ」
そう、独り言のように呟いた。
わたしは机に向かって、学校の宿題をやっていたが、その言葉はガラスの破片のように心に突き刺さってやまなかった。
『誰か、助けて。うえっち、助けて』
幸いにも、アパートは中学校の通学区域内だったから、転校はせずに済んだ。
もうすぐ、冬休みになろうかという帰り道、わたしは怜と歩いていた。
わたしは家を出てアパートに今、住んでいること、離婚届、ママの様子などを怜に話した。けれど、どんなに言葉を尽くしても、肝心なことは伝えられていないような気がする。
怜は、じっと耳を傾けて聞いていた。それから、言った。
「全部、表現できなくても伝わっているから。大丈夫よ、幸子」
それから、そっと近づいてきて、わたしを抱きしめた。
わたしは苦しくて苦しくて、涙さえも出ない。『ああ、泣くことができたら、どんなに楽になるのに』、胸の中に黒い固い塊があるようで、吐き出しても吐き出せない。
「そのままで、ありのままで、今はとても苦しいと思うけど、苦しいままで」
怜はさらに強く、わたしを抱きしめた。
それから、どれぐらい時間が経ったことだろう。
「もう、大丈夫」
わたしは怜の腕の中から離れて、また歩き出していた。
怜とわたしは住宅街を歩いていたが、赤い実をいっぱいにつけた柊が目に入ってきた。
「幸子、春に、ここの柊が白い花を咲かせていたのを見た?」
「柊って花を咲かせるの?」
「ええ、白い小さな花を咲かせるわ。顔を近づけると、優しい匂いがするのよ」
「それなのに、実を結ぶのは今なのね」
「そう、花を咲かせてから、実を結ぶまで半年ぐらいかかる。その間に、ギザギザの葉はだんだんと丸くなっていくわ」
わたしは柊に近寄ってみた。確かに、柊の葉はトゲトゲしたものではなくてたまごのような形になっていた。わたしは指で、赤い実に触れてみた。
触れた途端に、何だか胸が開いたような気がして、そして、涙がこの赤い実のように、次から次から目からこぼれ落ちてきた。
怜はもう一度、わたしを抱きしめてくれた。
そして、背中をぽんぽんと叩くと、涙はとめどなく溢れてきた。
「柊の花言葉は将来の見通しなの…」
怜が小さな声で呟いていた。