無意識さんとともに

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催眠!青春!オルタナティヴストーリー 84〜U14 神楽坂さん

どういうわけか、ぼくは部活が終わるたびに、部長の神楽坂さんと帰ることになった。神楽坂さんは、文学から哲学やキリスト教の話まで話題に振ってきた。

ぼくは、神楽坂さんの影響を受けたのか、久米川駅西友のそばにあるふみやという本屋で、カールヤスパースという哲学者の書いた「哲学入門」の文庫本を手に入れた。それを買うまで、何だか、買おうかどうしようか、本屋の中をぐるぐる回ってしまった。お金の問題ではなく、哲学というのは、何だか、非日常的な危険な香りがしたからだ。

家に帰って開いてみると、本はけっこう読んできたはずなのに、何が書いてあるのかちっともわからない。ただ、「限界状況」という言葉だけがやたら心に響いた。

「神楽坂さんは、クリスチャンですか?」

神楽坂さんがやたら、キリスト教や聖書のことを持ち出すので、勇気を出して聞いてみた。

「いやそうではないよ、でも、西洋文学も哲学も土台にキリスト教や聖書があるから、知っておいて損はないかもね」

ぼくは、その言葉を真に受けて(と言っても神楽坂さんは『振り』をするような人ではなかったから、真に受けるのは正解だったと思う)、駅で小冊子を配っていた青年に誘われて、駅ビルにあるプロテスタントの教会に行ってみた。けれども、話は型にははまった堅苦しく、時折、入れるジョークは今度はそれと対照的にあまりにくだらなく、いる人は眉根に皺を寄せたような人ばかりで、これなら、神楽坂さんの話を聞いていた方がよっぽど面白いと思った。

神楽坂さんに誘われて、家に行ったこともあった。

中学校から左に折れて、踏切を渡り、遊歩道に差し掛かったところを左手に少し入った住宅街に、神楽坂さんの家があった。
ぼくははまっちの家以外は、女性の家に行ったことはなかったので、えらく緊張した。
家はごくごく普通の二階建ての家だった。
チャイムを鳴らして、インターホン越しに、「上地君、待ってたよ」という声を聞くと、何だか緊張がほぐれて、ぼくは家に吸い込まれていった。

神楽坂さんは、白いオックスフォードシャツの上にえんじ色のカーディガンを羽織り、ジーンズを履いていた。
部屋に入ると、何も置いていない白木の机があり、女の子に似つかわしくないそのままの白いベッドカバーをかけたベッドがあり、あとは本、本、また本が収められた本棚が部屋の3面をびっちりと覆っていた。
「何だか、書庫に暮らしているようですね」

「あはは、そうだね。でもこれが心地いいのだよ」

僕は、そう語る神楽坂さんのきれいな顔を眺めながら、このギャップが神楽坂さんの魅力なのだろうななどと不謹慎なことを考えていた。そうして、このギャップを知るものは自分以外は多くないことが何だか誇りに思えた。

大きなマグカップになみなみと注がれた紅茶を飲みながら、ぼくと神楽坂さんは最近読んだ本のことを、時間を忘れて話した。

『とても楽しい時間だったな』と思いながら、神楽坂さんの家を出たところで、クラスの男子と出くわした。ほとんど話したことのない男子だったので、何も言葉を交わさずにそのまま帰ったが、彼の目が何だか不穏な感じだったことが、胸をざわつかせた。