無意識さんとともに

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灯台

昨日、催眠の練習相手から、「灯台」という、わたしに関する本のタイトル(メタファーの一種)をいただいた。

私はヒーローになりたかった。

みんなに賞賛される正義のヒーローでもいい、みんなに罵倒されるダークヒーローでもいい、ヒーローになりたかった。

そうやって、人々がマウンティングと嫉妬でぼうぼうと燃え盛っている火事の現場に急行して、火を消すつもりで、自分が火だるまになったり、

人が悲しみや苦しみの波で溺れかかっているところに泳いで行って、救おうとつかんでつかまれて、海の底まで一緒に沈んだりした。

そうやって、人を救いたいと言いながら自分を救いたかったのであり、自己犠牲しながら相手も自分に自己犠牲してくれて、支配し支配されるという泥沼に浸かっていたのかもしれない。

そういう自分を全部、丸ごと、否定するのではない。

そういう火事場ごっこ、溺れるごっこ、泥沼ごっこしている自分も、全部、無意識さんに包まれて、『ああ、自分て、灯台なんだなあ』と気づく。

灯台は、火事場に行かない、溺れる人の現場に行かない、泥沼に入らない。

孤独に崖の上に立って、ただ、淡々と光を遠くまで照らすだけである。自分が光というのではない。自分の光でもない。ただ無意識さんの光を伝えるだけである。

そして、火事場、波、泥沼にいる人は、無意識さんの光に照らされて、はっと気づくだけ。何に気づくのかはわからない。その人が、その人の仕方で、その人の内容で気づくのである。気づいて、自分の方向を自分で見出す。

見出した人は、その光が灯台から発せられたものであることさえ気づかないかもしれない。

それでいい、灯台は人を救うために光を発するのではなく、ただ無意識さんといることが楽しいから淡々と無意識さんの光を発しているだけだから。