そうやって、心に支配と邪魔の排除を1000本ノックのようにお願いしていくと、この前書いたように、心と体が軽くなっていく感じを覚えることもあれば、むしろ、寂しさや孤独を覚えることもある。
どうして、支配と邪魔が減っているはずなのに、寂しさや孤独を覚えるのだろうか?
それは、支配者や人にぐるぐる巻きに支配されて、繭の中に閉じ込められている蚕のようにその中で温かな状態にいたからである。また、支配者の多くが自分の母親であることが多いことを考えてみれば、姿は大人であっても、未だに母親の子宮の中に入れられて、生ぬるい温かさに浸っていたからである。
支配や邪魔の繭、子宮から出るということは、支配者や人とのリードや臍の緒から切られて、自由になることを意味する。
そして、自由になれば、もう支配者のもとにはいない。その時、あれほど、暴力や暴言で自分を縛り付けていた支配者がふと懐かしく思えて、寂しさや孤独を感じたりするのである。
それは、むしろ、自由になっている証なのである。
リンカーンが奴隷解放宣言を出した後、解放された奴隷の中には、自分でこれから歩んでいかねばならない寂しさと孤独を感じて、かつて自分を奴隷にしていた主人のもとに戻りたいと思ったものもいたと言う。
そういう寂しさや孤独感は、自分が自由になっている証であるととともに、支配者がこれが最後のチャンスとばかりおいでおいでしているサインとも言えるかもしれない。
もしかしたら、寂しさや孤独感だけではなく、悪夢を見たり、トラブルが起こったりすることもあるかもしれない。
私の場合は、支配が母親とキリスト教から来るものだった。それでそれに関する悪夢をよく見た。
ひとつは、母親が私の体の上にのしかかって鬼のような形相で私の首を絞めてくる夢、また教会で自分が尊敬したり好きだった人たちが現れて自分を教会に戻るように説得してくる夢だった。
支配者は脅したりすかしたり、泣き落としを使ったりしてくるが、それらは皆、自由になっているサインである。
そして、こういうことがいつまでも続いたらしんどいなあと思うのだが、そんなサインはいつまでも続くものではない。トンネルの出口は近いのである。
そこで、前に進んで支配と邪魔を心に排除してもらい続けるか、それとも後に戻って寂しさや孤独感を買って自由を売るかも、また、自由である。
無意識は神ではないから、どういう選択をしても、前に進もうが、後退しようが、私たちを攻めることはない。いいも悪いもなく、ただ、自分がどうしたいのか、ただそれだけなのである。