(これはフィクションです)
お風呂にはもう半月入っていない。
最初は全身が痒くなったが、慣れてしまえばもう何も感じない。
ドアを開けた時に昼間だと分かったが、カーテンを開けるつもりはなく、部屋の蛍光灯をつける。
万年布団の脇に置かれた、これも出しっぱなしのテーブルこたつの隅に置いてある小さな鏡に自分の顔が映る。
見たくないのに、思わず見てしまった。
一度見てしまうと、気になって、鏡を手にして自分の顔を眺めた。
無精髭が生えて、目が窪んでいるのは当然としても、何だか、顔の色が緑色に見える。
蛍光灯の光の下で見ているからそうなのかもしれないし、そうでない悪い病気なのかもしれない。
けれど、もうそんなことはどうでもいい。
私は、布団の上にあぐらをかいて、母親の持ってきたあんぱんを齧り、パックそのままの牛乳を口につけて流し込む。
まともな食事はずっとしていない。
こんなものしか食べていないのに、何だか体がぶよぶよとしているような気がする。
あまりに動かないせいだろうか?
そうして、その食事を終えてしまうと、また、何もかも忘れさせてくれる睡眠を期待して布団の上に横になる。
と言っても、夢の中でさえ、楽になるわけでもない。人に責められる悪夢が自分を追い回し、追い詰めることが多いからだ。
それでも、この狭い部屋の中で、自分と向き合っているよりはいいかもしれない。
布団の上で、二度三度と寝返りを打つが眠れない。
いくら体内時計が壊れていると言っても、そうそういつでも眠れるものではないようだ。
仕方がないので諦めて横になっているが、僕の脳は、思い出したくもないのに、過去からの記憶の映画を勝手に上映し始める。
…
あれは、8月終わり、長野のあるホテルだった。
私は、長期休暇をとって、ホテルで行われるある宗教団体の会合に来ていた。
自分ひとりというのではなく、自分の将来の妻も一緒だった。
と言っても、彼女はまだ20代前半で、精神的に幼かった。
三重県から私だけを頼りにひとりで参加したのだ。
この会合に出れば、有名な講師に会える、そうして特別な祝福をいただける、そんなふうに考えるのは当然だったし、私たちのグループの誰もがそう思っていただろう。
ところが、実際にミーティングが始まってみると、そういうわけではなかった。
講師は、1000人近くいる私たちのうちの数人を指名して壇上に上らせ、その特別に選ばれた人にだけ、頭に手を置いて、特別な祝福の祈りをしたのだった。
祈りを受けたものは、倒れ笑い出し異言を語るものもいれば、病気が癒やされたと告白するものもいれば、神の素晴らしさを証しするものもいる。
私自身は、はっきり言ってそのことに興味がなかった。
それなのに、観衆の真ん中あたりに座って、彼女と隣に座っている私が、彼女ではなく、指名されたのだ。