無意識さんとともに

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催眠の現象学110 手放せば心に花の開く

朝、瞑想みたいなものをしているんですが、この頃は、そもそも瞑想をするかどうかも、指を振って心に聞きます。

『昨日は瞑想を50分したから、今日は1時間かな』、そんなふうに自分では思うのですが、心は、今日は30分と答えてきます。

さらに、いつもこの瞑想の後に、セルフレイキをするんですが、これについても心は今日は自分にしないで後で妻にすると答えてくるんです。

こんな答えを聞くと、何だか、ポカーンとするんです。

そうして、心の答えのままにしてみると、何だかざわめき立っていた頭の中がシーンとしてきます。
意識の私は、常に、昨日より今日、今日より明日と、もっともっと、より高くより高く、理想を目指して突き進むということをやめられないんです。

そうして、理想という基準があるので、現実を理想に照らし合わせて落ち込んでしまいます。

けれども、心に聞いて、無意識の私からのメッセージを聞くと、そんな意識の私の完璧主義がさえぎられます。

さえぎられて頭の中に涼しい風が吹き抜けて、舞い上がって熱を帯びた状態をふーっと冷ましてくれるんです。

そんなふうに、心に聞いて従うようになって自分の完璧主義が緩んで融けてきているように感じるのですが、これは他にも理由があるなという気もするんです。
こないだ、レイキの先生がツィートで触れていた『レイキを手放せ』(衣斐裕一)という本を読んだのです。
細かい内容は覚えていませんが、『ああ、レイキって手放す練習なんだ』としみじみ思いました。
人に手を置いて、自分のエネルギーで癒すわけではない、ただレイキが自分を通りよき管として通って人の内側にある自然治癒力を呼び起こして癒す。

そうは言っても、どうしても癒そう癒やそうとしてしまうんです。

そんな癒やそうという思いを止めようということもできない。

いや、そんな思いも全部丸ごと、レイキは包み込んでくれる、だから、手を置いて何もかもそんな思いもすべて、レイキに手放す練習をしていることになるんです。

レイキと書きましたが、レイキは無意識のエネルギーなので、こんなレイキの実践をすることは、無意識に自分を手放すことと、心の声を聞いてその通りにしてみるということと同じなんです。
すると、理想というのは蜃気楼のようなもので、ただ、足を大地につけて歩いているその足裏の感触が、日々を過ごすその味わいが、じんわりと感じられてくる、そんなことがあるのかもしれないんです。
いつの間にか、何やら楽しそうに口笛を吹いていて、道の脇の草花や樹木を眺めている自分にハッと気づいたりもするんです。