無意識さんとともに

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催眠の現象学111 さらりとした感覚

キリスト教を卒業したのですが、H神父は今でも、永遠に私の恩人なんです。

私がどん底でもう死ぬしかないと思いつめていた時に、日本中の牧師や神父に電話をしたのですが、ほとんどの人は、電話の向こうでビビっているのが感じられたんです。あるいは、聖書にはこう書いてあるといった形ばかりの対応だけして誤魔化そうとするんです。

H神父はカリスマ神父と呼ばれていましたから、こんな私なんて相手にしないと思ったんです。

その予想を裏付けるように、電話したら受付の女性が出て、「神父に伝えておくので、お電話を教えてください」と。

もう、それで電話がかかってくるなんてないと思っていたんです。

ところが、私の予想を裏切って、電話がかかってきたんです。

「もしもし」

H神父本人だったんです。

詳しいことは前も書きましたから省略しますが、生きることはもうできないと思っていた私が、不思議にもトンネルの向こう側に光を見つけることができて、生きることができるようになったんです。
私は、このH神父が赴任している教会の近くに引っ越しして、神父のそばで一生、過ごしていこうと思いました。
そうして、次の週のミサに出て、ミサの後に神父と話したんです。

私は、その自分の決意を話しました。

すると、一瞬の沈黙の後、神父は私の目をまっすぐな眼差しで見て言ったんです。

「そんなことをする必要はないんです。あなたは自由で、あなたは自分の意志であなた自身の人生を歩んでください。あなたは私に助けられたと言いましたが、それはたまたま私を通してだったということなんです」

私は、びっくりしました。そして、少し悲しくも感じました。

私が知っている、私を助けてくれた人たちは私を囲い込もうと、例外なくしてきたんです。

私がそんな決意を言っても言わなくても、「これからあなたは私のところに通いなさい」とある時は言葉の、そうでなくても無言の圧力をかけてきたんです。

何だか肩透かしを食らって、胸の痛みも感じましたが、聖堂の外に出ると、雲一つない青空が広がっていました。

私は籠の中の鳥になろうと思っていましたが、神父は私を青空に飛び放ったのかもしれません。

あの時のさらりとした感覚は、今も胸の中に残っています。
そうして、そういうさらりとした感覚を感じさせる人に出会うたびに、ああ、あの時の感覚を思い出し、またその感覚を自分の中に堆積させていくんです。