無意識さんに聞いてみた、
「あなたは誰ですか?」
『私はあなた以上のあなた』
無意識さんは『私以上の私』なのである。
ラカンによれば、主体は意識にあるのではなく、無意識にある。
だから、私の主体は無意識さんであって、意識的な私ではない。
ところで、「無意識の暴走」はあっても「無意識さんの暴走」はないと思う。
人がキラキラしたカリスマ的な世界に魅了されて熱に浮かされる時、「無意識の暴走」は起こるのだが、その時は、意識的な私が膨張して、無意識はこの私が利用できる力のようなものになってしまっている。
ドットは意識である。ドット以外は無意識である。
しかし、無意識さんはドットもドット以外も含み、浸している。
だから、『意識と無意識の統合』をするのは、この意識的な私ではなく、無意識さんなのである。