こんなことがあった。
ひとつめは、今年、ディズニーランドに行く時のことだった。
行く当日になって、左足が急に痛くなり、立ち上がってトイレに行くのも苦しいほどになった。
あまりに痛いので、痛風の発作を疑った。
いろいろ応急処置をしてみたが、一向によくならないので、これはディズニーランドに行くと地震とかコロナにかかるとか何か悪いことが起きるという虫の知らせではないかと思った。
しかし、妻がとても楽しみにしていたので、念のため、心に邪魔を排除してもらって無意識さんに尋ねてみた。
『無意識さん、ディズニーランドに行けますか?立つことも苦しいのですが。』
『全然、大丈夫。途中で治るよ。』
無意識さんが親指を上に上げて微笑んでいるイメージが浮かんだ。
本当かよと思ったが、何とか激痛に耐えながら足を引きずって、駅に向かい、電車に乗った。
ところが、そうこうするうちに、いつの間にか、痛みが軽くなり、気がついたら普通に歩いていて、痛みが全くなくなっていた。
…
ふたつめは、ついこの間、母の納骨式に妹夫婦の車に乗って出かける時のことだ。
行く前になって、急に、静かだった頭の中に、妹夫婦と私が乗っている車が事故に遭うイメージがこれ以上ないぐらいはっきりと浮かんできた。
振り払おうとしてはみたが、全然、消えてくれない。
私は妹に言って中止にしようと思ったが、それも躊躇われた。
『そうだ、無意識さんに聞こう。』
私は、心から邪魔を排除してもらって無意識さんに聞いてみた。
『事故なんて、全然、起こらないよ。』
無意識さんはちょっと呆れているような感じで答えてきた。
けれど、私は行きも帰りもちょっとびくつきながら、全く何も起こらずに、いやそれどころか、前の記事に書いたように、幼い時以来の妹と仲良く過ごす時間を経験して帰ってきた。
…
いわゆる直感と、「無意識さん(心)に聞くこと」は似ているようだけれども、全く違う。
直感というのは、そのまま心に浮かんでくることで、インスピレーションや虫の知らせと言われたりもする。
しかし、直感には、多分に、支配者からの支配と邪魔が含まれている、というよりも支配と邪魔そのものであることがほとんどかもしれない。
「無意識さん(心)に聞くこと」は、大嶋先生が言うように、必ず、「心よ、邪魔を排除してください」と邪魔を排除してから聞くことで、全く違うことが返ってくる。
いわゆる直感は、私を舞い上がらせたり、不安に陥れたりするが、
「無意識さん(心)に聞くこと」は私を安心させて、凪にする。