今まで、心に支配と邪魔の排除をしてもらうことを強調してきました。
そのことについては変わりないのですが、それに加えて、最近は、何でも心に聞いてさらに心に聞いたことをやってみるということも大切なことだとしみじみ感じています。
と言っても、これは、心との関係で、人それぞれ、段階というかステージがあるようです。
私自身、
① 心に支配と邪魔の排除を集中的にしてもらうステージ(ただし、これはずっと続けるものです)
② 心の声を聞くことができるようになるステージ
③ 心は従うべき神様ではないと知るステージ
④ 心に何でも聞いて聞いたことをやってみるステージ
…
と心との関わりが変化してきたように思います。
特に、③は長いこと続きました。
ただし、この③は人によっては必要のないステージなのかもしれません。
私の場合は、キリスト教を卒業してもキリスト教の影響はかなり残っていたので、そして、キリスト教時代は神様の声を聞いていたので、③のステージが長かったのかもしれません。
もしかしたら、他の宗教でも同じかもしれませんが、神様の声というのは、従えば祝福がありますが、従わなければ罰や呪いがあります。
まあ、普通は、そこまで露わな言い方はせずに、「神様の声に従わなければ、祝福から外れる」というような言い方をしますが、まあ、実質的な内容は同じことです。
ところが、心は神様ではなく、心の声というのは、従わなくても罰や呪いがある、祝福から外れるというものではないのです。
と、以前にも頭では分かっていたのですが、なかなか、身にしみてわかるのは時間がかかりました。
だから、心は、時に、心に聞いても、返事をしてくれなかったり、「自分で考えて、自分で判断して、決めなよ」という言い方をすることがあったのです。
まあ、その時は、心に見捨てられたような、心が冷たいような気がしたものですが、心は神様ではなく、依存すべき神様ではないことを学ぶのに必要な段階だったのです。
依存することと信頼することは違うのです。
絶対に従わなければ祝福を得られないということであれば、それは依存であって、信頼ではありません。
このステージを通るために、心は自分を見捨てることなく、自分を導いてくれた、そんな気がするのです。