そうこうしているうちに、あっという間に、高校受験を迎えた。
結局、ぼくは明治学院東村山高校が第1志望で、滑り止めは地元の都立□□高校。
本当は、もっと上のレベルの学校を滑り止めにもできたはずだが、母親の強力なプッシュで滑り止めは譲らざるを得なかった。
曰く、「自転車で通えて、天地がひっくり返っても絶対落ちない学校」
その通り、入試5教科500点中100点取れば、ぼくは十分、合格だった。
本当のところは、母は何がなんでも私立に行って欲しくなかったのだろう。
結果的に、ぼくは明治学院東村山高校に合格したが、お金がないという母の逆ギレ(まるで私立に受かったぼくが悪いぐらいの勢いだった)で、都立□□高校に行くことになった。
何だか、とても虚しい感じだった。
佐伯さんは、志望していた都立〇〇高校に見事、合格。
何だか、ぼくはとても自分が恥ずかしいような気持ちになった。
何十度来たかわからない、例のファミレスで、神楽坂さんがぼくと佐伯さんをお祝いしてくれるというのでやってきていた。
「人間万事塞翁が馬というからね」
何だかますますモデルっぽい外見と知性に磨きがかかり、近寄り難いオーラを放つ神楽坂さんは髪を指で掻き上げるとそう言う。
「はあ、ずいぶん、渋いこと言いますね」
「渋いも何も、これはリフレーミングというやつだよ」
「リフレーミング?」
佐伯さんが言う。もう以前のギャルっぽいところはどこにもなく、何だかすごく知的にさえ見える。もしかしたら、神楽坂さんの影響なのか、いや、彼女は元々、こういう人間だったのだ。ギャルはそれを覆っていた仮面だったのかもしれない。
「問題と思えることの意味や、問題が置かれている状況を捉え直してみれば、全然、違ったように見えてくるという話さ」
「上地君が□□高校に行くことになったのもそういうことですか?」
「そうだね、ただ、今、私が言えるのは『絶望は希望のゆりかご』とだけ言っておこう」
ぼくは自分のことが会話のネタにされるのにちょっと腹を立てながらも、『絶望は希望のゆりかご』という言葉を心に留めてみた。
ぼくは、そんなに絶望しているのだろうか?
そう心に問いかけると、確かに『そうだ』と言っている気がする。
はまっちとのこと、高校のこと、母親のこと…それから、今、ここで□□高校に行ける佐伯さんも嫉妬していること…
何もかも自分の思った通りにならない。大したことはないとごまかしていたが、自分の心の深淵を覗いてみると、本当に絶望しているのだと、そう思えてくる。
そのうえで、『絶望は希望のゆりかご』と何度も唱えてみる。
すると、痛みの向こうに何だか明るいものがあるような気がして、ちょっと心が楽になった。
もしかしたら、絶望が絶望として感じられるのは、心に希望の種を眠らせているからなのかもしれない。