無意識さんとともに

https://stand.fm/channels/62a48c250984f586c2626e10

黎明〜鬱からの回復 64 催眠ガールとの出会い

達磨静座法は、毎日、続けていた。
この瞑想をすると、自分が動けると思っても本当は動けない場合と自分が動けないと思っても本当は動ける場合の区別がついてくる。

動けない場合はすっぱり諦めて休み、動ける場合は身の回りをちょっと片付けるというごく小さなことでも何かをした。

そうして、この瞑想を続けていけば、自分の鬱は癒やされていくのではないかと思うようになった。

確かに、ひどく死にたいような気持ちに駆られたり、胸が割れるように痛んで涙が止まらないというようなことは、前に比べると少なくなった。

けれど、過去に起きたことを思い返してみたり、あえて、私のことを悪く書いているネットの掲示板を見返したりしてしまうことはやめられなかった。

そして、何より、週のうち、まともに動ける日が2日あればいい方だった。

それでも、週のほぼ全部寝たきりだったことを思えば、すごい進歩なのだが、どんなに瞑想を続けても、この2日より長く、動ける日数が伸びることがなかった。

1日動くと、果てしもない疲労感を感じてしまい、2、3日はまた動けなくなる。

何とか医者に行って、疲労感に効くという漢方薬を出してもらったが、飲んでもほぼ変わりがない。
こんな状態が、また1年以上続いた。

自分の意志で何とかしようと足掻いてはみたが、如何にもこうにも変わらない。

私は、再び、無力感を覚え始めた。
そうして、無力感を感じると、症状が一気に戻されて、頭痛が起きて鬱感がひどくなる。

一体、これ以上、どうしたらいいのだろうか?
そんな時に出会ったのが、あの本だった。

それはAmazonのおすすめで出てきた。
表紙には、ショートヘアの女子高生が街並みを下にして空に浮かんでいる。
ひどく怪しい本にしか思えなかった。

私は見なかったことにして、その本のことを忘れようとした。

けれども、忘れようとしても、心の中で何かの信号が点滅するかのように、あの本の表紙がずっとチラチラして消えることがない。

『とりあえず、騙されたと思って読んでみよう。もう失うものは何もないのだから』

そう思うと、今度は本が来るのが待っていられなくなって、私はKindle版の購入ボタンをクリックした。

そうして、息も付かずに読み通した。

『これは新手のファンタジーなのだろうか?』
それが正直な感想だった。

色々な問題を抱える主人公が、催眠のお師匠さんから催眠を教わることで、人生が違う方向に動き出していく。

あり得ないと思った。

しかも、その催眠とやらが、私がイメージする催眠とは全く違っていた。
スクリプトと呼ばれる物語を読むことが催眠となっているらしいのだ。
ますますあり得ない。

『そんな物語で何かが変わるなんて、おとぎ話じゃないか?』

催眠の現象学86 オセロ

支配者も催眠を使うかもしれません。

けれど、支配者の催眠というのは、無意識と繋がる催眠ではありません。

むしろ、無意識との繋がりを絶って、徹底的に意識的にならせようとする催眠です。

それは、無意識によってリソースを引き出し、人が何ができるかを自分で気づくようになる催眠ではなく、
自分がどれだけ無能で何もできないかを思い知らせ、過去の失敗例をあげつらう催眠です。
支配者は、言葉に嫉妬や不安を混ぜ込み、発作の電気ショックで獲物を動けなくします。
そうして、賢い支配者は、論理的に筋の通った正論を、意識的に理性的に考えれば受け入れざるを得ない正論を暗示の言葉として使うのです。

この正論という暗示は金の針です。

それは全く正しく、反論の余地がない、価値のあるアドバイスのようにしか見えません。

だから、この暗示が、金のように高価なものと思い込まされて受け入れてしまうと、この金の針は、心の中心部まで刺し通し、無意識との繋がりを断ち切ろうとするのです。

私たちは、この金の針を受け入れてしまうと、支配者の言いなりになってしまい、支配者に叩かれ放題のサンドバッグになってしまいます。
そうして、あろうことか、いいサンドバッグになることによって、支配者が自分を叩かないようになるとさえ、誤解します。
けれど、いいサンドバッグになればなるほど、支配者はこのサンドバッグを当然のように叩き、弄ぶのです。

支配者は、金の針を中心まで刺し通して、無意識との繋がりを断ち切ったと思っていますが、実は、無意識との繋がりを断ち切ることは決してできません。
なぜなら、支配者の使う催眠は、意識的な催眠であって、心の中心部に達したように見えても、それは意識の範囲内だからです。
無意識はあなたを離れず、そこにいて、あなたが呼ぶのを待っています。
そうして、あなたが呼ぶとき、まるでオセロの黒を一瞬にしてひっくり返して全て白に変えてしまうように、全てを変えてしまいます。

恐るべき無意識は、支配者に支配されたことさえ利用して、全てを変えてしまうのです。
この無意識の力強さを一度でも味わってしまうと、人はどんな不利な状況、どん底の状況、死に頻した状況でも、もう絶望することができないのです。

催眠の現象学85 エリクソンの自己催眠のすごさ

面白いことに、エリクソンの手にかかっては催眠に入らない人などいなかったのですが、エリクソン自身は、誰か他の人に催眠をかけてもらってもトランスに入ることがなかったようです。
エリクソン自身の観察力があまりに鋭く、マルチタスクで動いていたので、人に催眠をかけてもらうことが難しかったのかもわかりません。
ところで、今日のエリクソニアン催眠ワークショップで、前回に、「自分は催眠にかからないタイプ」と言っていた人に、練習で当たってしまったので、えらく緊張してしまいました。
催眠誘導をしたのですが、言葉を間違えたり、噛んでしまったり、散々でした。

『こんなんでは、余計、トランスに入れないだろうなあ』と思って、覚醒してもらってから、恐る恐る、「いかがでしたか?」と尋ねると、

「ところどころ、意識がなくなって、眠っているような状態でした」と。

私自身が狐につままれる感じでした。

自分では失敗したと思ったのに、どうしてなんだろうと思いをめぐらして、浮かんできたのは、そう言えば、この頃、また、自己催眠への熱意がよみがえって来ていることと関係あるかもしれないということでした。

エリクソンは、人に催眠をかけてもらってトランスに入るのは難しかったわけですが、彼は、自己催眠によって絶えず、自分をトランスに入れていたのです。

エリクソンは、ポリオの後遺症から来る痛みに対処するために自己催眠を使っていましたが、それだけではなかったのです。

エリクソンは、大学時代に自己催眠状態で論説を執筆した経験から、無意識の創造力を確信し、面接にもこの創造の源を利用しようとした。彼は、トランスに入った方が患者をよりよく理解できると思ったとき面接中に自己催眠トランスに入ったことが何度かあると述べた。…
エリクソンはまた…名高くかなり傲慢な精神科医をトランスに入って治療した経験を語ったことがある。エリクソンは、その患者は自分の無意識ほど賢明ではないと判断し…無意識が働いてくれるのを期待して治療にのぞんだ。ひとたび面接が始まると、エリクソンはあらゆる記憶を失い、2時間後気付いたときには、部屋に一人でいて、机上のフォルダーの中に治療の記録が綴じられていた」(「ミルトン・エリクソン その生涯と治療技法 p.46〜47)

エリクソンは、自己催眠で自由にトランスに入ることができ、記憶がなくなるほど深くトランスに入ることができたことがわかります。

私はこれを読む前は、自己催眠ってこんなもんと勝手に限界というか天井を決めていたのですが、これを読んでガツンとやられました。

それで、再び、自己催眠を熱心に始めた矢先のことだったのです。

私は意識では失敗したと思っていましたが、無意識は確かに働いていて、無意識が働いているそこの部分についてはもしかしたら記憶が飛んでいるのかもしれない、そんなふうに思ったわけです。

催眠の現象学84 新メスメリズム?〜催眠とレイキ

催眠の祖であるメスメルは、人間は磁気のようなものを発していると考えて、手を当てたり、手をかざして、人をトランス状態に入れて病気を治療しました。

けれど、このことは科学的ではないという烙印が押され、歴史から消されたわけです。

そうして、催眠は、手を当てるということではなく、言葉によってなされるようになりました。

けれども、こういう手を使った治療は、古くは、キリストが行なっており、また、現在まで宗教の中でも(キリスト教でも新興宗教でも)行われており、
宗教以外でも、臼井先生が創始したレイキでも行われています。

メスメルは、人間の手から出ているエネルギーを磁気だと考えたわけですが、それが磁気であることが当時の科学者に否定されたわけです。

しかし、現在も、科学的には証明できないにせよ、人の手から何かしらのエネルギーや力が出ていることは、体感できるもののように思われます。

それは、誰も持っているエネルギーで、誰も自然に放出しているエネルギーです。

そうして、無色透明のエネルギーで、特定の意図を持たないエネルギーです。

無色透明で特定の意図を持たないエネルギーだからこそ、他の色々なものと混ぜることができるのです。

ちょうど、水や空気が、それ自体は色もないけれど、他のものと混じって色を保つことができるのと似ています。

だから、宗教などの独特な色とも混ぜ合わされて、そこで働くことができるのです。
宗教は、このエネルギーが働くのは、その教えや教えを信じる信仰のためであると主張しますが、そうではなく、混ぜ合わされたこの無色透明なエネルギーが、ちょうど空気があらゆる場所を満たすように、そこにも存在しているためです。

私は、この無色透明で意図を持たないエネルギーのことを、無意識のエネルギーと言いたいと思います。
無意識こそ、無色透明で特定の意図を持っていないからです。

そうして、催眠は今は言葉が中心になっていますが、無意識には言葉とエネルギーが伴うのだから、催眠もまた言葉だけではなくエネルギーを用いた催眠、メスメルが行なったようなものに帰ることもあるのかもしれないと、思うのです。

黎明〜鬱からの回復 63 瞑想

それから、私は、とりあえず眠れなくても、朝起きるようにした。

睡眠時間が2時間というのはざらだったが、そんな日が数日続くと、何とか、5、6時間眠れる日も出てくる。

その後、また眠れない日が続いて、そう簡単なものではなかったが、それでも昼夜逆転は少しずつ、普通のリズムに近づきつつあった。

そうやって、睡眠がある程度、整うと、私は、自分を癒す手段を探し始めた。

探さなければ何も変わらない、そのことは、この引きこもりの間で、痛いほど学んでいた。

いくら、親に恨み言を並べても、神に祈っても何も変わりはしないのだ。

だから、もう、親にも、神にも期待することはスッパリやめたのだ。

そうして、ネットで検索していると、ある哲学者が『瞑想の勧め』というタイトルの文章を書いているのが目に入った。

私の知る限り、その哲学者は、そんな瞑想をするタイプには全く思われなかった。

それで訝しげに思ったが、とにかく、読んでみることにした。

読んでみると、瞑想といっても、私のイメージとは違って、今ここに意識を絶えず戻すというものらしい。
それで、私は瞑想関連の本を読み漁って、自分なりに瞑想を始めた。瞑想をすると、わずかの時間だが、心と体から強張りが取れて何とか動くことができる。もしかしたら、瞑想の時間を長く深くしていけば、鬱から解放されるのかもしれないという希望を感じるようになった。
ところで、本の中には、原始仏教系の本もあった。
何気なく、読み進めていくと、やはりというか、親を敬えという教えがあり、特に、私のような鬱病の人には慈悲の瞑想が効果があると書いてあった。
何だか、心がざわざわしたが、仏教はキリスト教とは違うと考えて、慈悲の瞑想もやってみた。
「私が幸せでありますように…」
自分から始めて、自分の親しいもの、生きとし生けるものと範囲を広げていく。
「…私を嫌っているものが幸せでありますように」
そうして、ついには、自分を嫌っているものにまで慈悲を拡大していく。
私は、数ヶ月、これをやってみたが、やればやるほど、再び、苦しくなっていった。
心の隅に、もしかしたら、仏教なら、自分を救ってくれるのではないかという考えがあったためかもしれない。
私は、慈悲の瞑想を投げ捨て、達磨静座法という、ただ、呼吸を数えるだけの瞑想だけをするようになった。
そうして、瞑想を続けていくと、1日の中で、自分の心と体の重さを感じない雲の晴れ間のような時間を味わうようになった。

 

催眠の現象学83 無意識の言葉とエネルギー

催眠は、主に言葉を使ってするものです。

言葉によって、相手を催眠喚起し、トランスに導きます。

そうして、トランスの中で、人は無意識という鏡に映すようにして、自分の本来の姿を見るのです。

 

以前、私は、こういう『言葉による催眠』の他に、言葉を使わない『体による催眠』もあるのではないかと思ってきました。

例えば、エリクソンのハンドシェイク法という催眠誘導は、相手の手を握って、思いもよらないところで手を離すことで、相手の手は硬直状態になり、相手をトランスの中に導き入れます。
更に、催眠の祖であるメスメルは、手を当てたり、かざしたりすることで、相手をトランス状態に導いたのです。

私は、そういう興味からレイキを経験したわけです。

そうして、レイキをしたりされたりすると、眠っているのかそうでないのかわからない状態になることが多いわけですが、これは、催眠によるトランスと非常に似ていると思ったわけです。

いや、似ていると言うより、体感的には、区別がつかない同じものと感じられるのです。

それで、いよいよ、言葉の催眠と体の催眠があると確信したのです。

ところで、催眠には、無意識というものが大きく関わっています。
無意識なしでは、催眠というものはほとんど考えられないと言っていいかもしれません。

もちろん、無意識というのは、無・意識ですから、意識できないものであり、吉本先生が言ったように、これも一種のメタファーなのでしょう。

けれども、このメタファーを用いて、催眠というものは成立するような、そんなメタファーなのです。

そうして、催眠の言葉とは、単に、トランスに導く言葉というより、無意識から出てきた言葉だということができると思います。

特に、エリクソニアン催眠において、セラピストが自分自身、トランスに入ることによって、そうして、トランスの中から、無意識から言葉を発することで、クライアントもまた、無意識のトランスに導かれるという感じがまざまざとあるのですから。

これは、体の催眠でも同じなのかもしれません。

例えば、レイキでは言葉が発せられませんが、そこで伝わっていくものもまた、無意識のエネルギーであり、このエネルギーによってトランス状態になり(レイキではトランス状態になることを目的とはしませんが)、体や心のバランスが取れて、本来の自分になっていくと、そう考えることもできます。

ですから、無意識というメタファーを採用すれば(もちろん、他のメタファーでも構わないわけですが)、無意識には言葉とエネルギーがあって、いわゆる催眠は無意識の言葉を用い、レイキなどは無意識のエネルギーを用いるという物語(ナラティブ)になるのかもしれません。

催眠の現象学82 昨日のFAP

ある人に言われたことだが、自分の中で、大人と子供、思考と感覚、男性性と女性性の統合が起こっているらしい。

悩み

人との繋がり、人に自分を知ってもらう、人との一体感に抵抗を感じる

 

主軸コード

「罪は赦された」

シロツメクサの冠を頭にのせて、白いドレスを着た亜麻色の髪の女の子が草原に座っている。周りに、少年たちと少女たちが歌を歌いながらぐるぐる回る。中心の女の子である私は悲しい気持ちで眺めている。

 

中脳中心灰白質

歌いながら回っている少年たちと少女たちの後ろに、西洋風の悪魔が現れる。

彼らは自分に石を投げつける。

私は血の涙を流す。ついには肉片となってしまう。

墓石が見えてきて、てっぺんにシロツメクサの冠がかかっている。

墓石のそばにスズランが咲いていて、風に揺れて音を奏でる。

胃が怒りでぐるぐると気持ち悪い。

 

中脳中心灰白質

墓の中の少女である私が甦って、鎧と兜と剣を身につけ(アーサー王伝説の少女のような姿)、自分を殺した少年少女たちの首をはねる。

天を仰いで泣き叫ぶ。

背中が痛い。

 

漏斗

少女が着替えている最中に自分に男根があるのを見つけて、キャーと叫んでいる。

鏡の向こうに、少年がいて、自分の男根がなくなっているのを見つけて叫んでいる。

めまいがする。

 

後縦束

鏡のこちら側の少女と向こう側の少年が、鏡を通して、手を伸ばし合い、手を取って出てきて、散歩をしたり、空を見たりする。

その後しばらくして、相互に浸透する形でひとつになったら、自分がそこにいた。

空を見上げていると、陽が沈みかけ、羊雲が次から次へと流れる。

とにかく眠い。