(以下は、まだ下流、つまりトラウマセラピーを受けている人は読まなくていい内容です。)
思い出すと、下流から中流へ(ここでいう下流とはトラウマ処理、中流とは人格の統合を指しています)、つまり、支配者という外在化のナラティブからパーツという内在化のナラティブにナラティブチェンジするのはけっこう苦しいことでした。
それまでは、何かことが起きると、自分の言動をまず支配者の影響という枠組みで理解していたため、自分自身の選択や在り方に目を向ける必要はあまりありませんでした。
もちろん、だからこそ、自分を責めずにトラウマの処理に専念できたのですが、トラウマがあらかた処理できた後は、前に述べたように、それでは支配者への恐れが完全に拭い去られることは難しく、それだけではなく、グラウンディングして自分が自分の選択で自分の人生を生きるということも困難です。
言い方を変えれば、自分の人生がとにかく支配者からの影響をゼロにしようというところにフォーカスされて、自分の足で自分の人生を歩むというところにフォーカスされないからです。
私は思い切って、一時的にでも支配と邪魔の排除をやめてみて、自分のパーツとの対話に集中することにしました。
ただ、それにこの私では無理な感じがつきまといます。
この、今もいろいろな影響を受けている私ではどだいそんなことは無理なのです。
FAPの世界観にある通り、「無意識さんには愛があるが、人間には愛がない』というのは、この生身の私には当てはまります。
この私は、自分のさまざまなパーツを愛せるようなものではありません。
だからこそ、パーツセラピーでは、この私ではない、大きな私、つまりセルフの存在がどうしても必要になるのです。
この私は、相変わらず恐れや混乱に巻き込まれやすく、パーツを愛することなど無理なのですが、
セルフは、どんな恐れや混乱があっても、それに飲み込まれずパーツを愛することができるのです。
この私からセルフへのジャンプが必要になってきます。
そのジャンプが起こると、自然とナラティブチェンジが起きて、一気に楽になるのです。
そのためには、頭ではなく、パーツとのブレンディングが解除されて、セルフが私の内側に現れることを体験することがどうしても必要になります。
私は、パーツセラピーの本当の肝は、パーツを理解することではなく、セルフを内側に体験することにあると思っています。
セルフが現れると、パーツとの関係が自然に変わるのです。
そのとき初めて、ナラティブは頭で変えるものではなく、体験として変わっていきます。