無意識さんとともに

https://stand.fm/channels/62a48c250984f586c2626e10

催眠!青春!オルタナティヴストーリー 152 絶望は希望のゆりかご

そうこうしているうちに、あっという間に、高校受験を迎えた。

結局、ぼくは明治学院東村山高校が第1志望で、滑り止めは地元の都立□□高校。

本当は、もっと上のレベルの学校を滑り止めにもできたはずだが、母親の強力なプッシュで滑り止めは譲らざるを得なかった。

曰く、「自転車で通えて、天地がひっくり返っても絶対落ちない学校」

その通り、入試5教科500点中100点取れば、ぼくは十分、合格だった。

本当のところは、母は何がなんでも私立に行って欲しくなかったのだろう。

結果的に、ぼくは明治学院東村山高校に合格したが、お金がないという母の逆ギレ(まるで私立に受かったぼくが悪いぐらいの勢いだった)で、都立□□高校に行くことになった。

何だか、とても虚しい感じだった。

佐伯さんは、志望していた都立〇〇高校に見事、合格。

何だか、ぼくはとても自分が恥ずかしいような気持ちになった。

何十度来たかわからない、例のファミレスで、神楽坂さんがぼくと佐伯さんをお祝いしてくれるというのでやってきていた。
人間万事塞翁が馬というからね」

何だかますますモデルっぽい外見と知性に磨きがかかり、近寄り難いオーラを放つ神楽坂さんは髪を指で掻き上げるとそう言う。

「はあ、ずいぶん、渋いこと言いますね」

「渋いも何も、これはリフレーミングというやつだよ」

「リフレーミング?」

佐伯さんが言う。もう以前のギャルっぽいところはどこにもなく、何だかすごく知的にさえ見える。もしかしたら、神楽坂さんの影響なのか、いや、彼女は元々、こういう人間だったのだ。ギャルはそれを覆っていた仮面だったのかもしれない。

「問題と思えることの意味や、問題が置かれている状況を捉え直してみれば、全然、違ったように見えてくるという話さ」

「上地君が□□高校に行くことになったのもそういうことですか?」

「そうだね、ただ、今、私が言えるのは『絶望は希望のゆりかご』とだけ言っておこう」

ぼくは自分のことが会話のネタにされるのにちょっと腹を立てながらも、『絶望は希望のゆりかご』という言葉を心に留めてみた。

ぼくは、そんなに絶望しているのだろうか?

そう心に問いかけると、確かに『そうだ』と言っている気がする。

はまっちとのこと、高校のこと、母親のこと…それから、今、ここで□□高校に行ける佐伯さんも嫉妬していること…

何もかも自分の思った通りにならない。大したことはないとごまかしていたが、自分の心の深淵を覗いてみると、本当に絶望しているのだと、そう思えてくる。

そのうえで、『絶望は希望のゆりかご』と何度も唱えてみる。

すると、痛みの向こうに何だか明るいものがあるような気がして、ちょっと心が楽になった。

もしかしたら、絶望が絶望として感じられるのは、心に希望の種を眠らせているからなのかもしれない。

「心に聞く」ステップバイステップ1−3−2 寂しさや孤独感はどこから?

大空を1匹で飛んでいる鳥を見る時、人はさまざまな感じ方をする。

『ああ、何にも縛られずに、ほんとに自由だなあ』と感じることもあれば、

『ひとりぼっちで飛んでいてどんなに寂しいことだろう』と感じることもある。

今度は、大勢の人に囲まれている時に、よく知っている友達の中にいる時に、

『自分は何だか一体感を感じて幸せだなあ』と思えることもあれば、

『友達の中にいて孤独なんて感じるはずはないのに、何だか孤独だな』と思うこともある。

してみると、寂しさとか孤独感とかは、ひとりでいるから感じるものでもないし、大勢でいるから感じないものでもない。

人間は、本来、無だから、何も感じていない。

それなのに、寂しさとか孤独感とかはどうして感じるのだろう。

りんごは引力があるから、木から地面に落ちる。

同じように、支配という引力がある時、落ち込んで寂しさや孤独感を感じるのかもしれない。

ふだん、私たちはそんな引力があることなど感じていない。

けれど、ニュートンが木から落ちるりんごを見て万有引力を発見したように、私たちも心に支配や邪魔の排除をお願いして支配や邪魔が揺らいだ時に寂しさや孤独感を感じて、支配者の支配という引力が自分に影響を与えていることを知るのかもしれない。

さらに、支配や邪魔の排除をしていくと、まるでりんごが落ちないで宙に浮いているように、もはや落ち込んで寂しさや孤独感を感じなくなっていく。

宙に浮いているりんご、寂しさや孤独感のない静かな凪の世界、不思議な光景。

でも、それが本来の私たちなのだと思う。
その時、私たちはひとりきりでいても、ふたりでいても、大勢でいても、もはや寂しさも孤独も感じることはなく、ひたすら自由を呼吸しているのかもしれない。

人間の3タイプ〜2−2虚無への誘惑

虚無の人は、明るい海水の中を群をなして、キラキラと光を反射させながら、右向きに周遊する魚の群れのようだ。

群れの中では誰が誰かに命令するというようなリーダーはいない。

1匹1匹の魚が、リーダーに従うのではなく、他の魚を真似するわけでもなく、ただ無意識に促される時、結果として、一体感を感じつつ、同じ向きに緩やかに泳いでいるのである。

そんな虚無の人を支配者が誘惑しようとする時、入れてくる思いがあるのかもしれない。

『毎日、毎日、ただ同じことを淡々として、知っている人たちとぶつかることもなく暮らして…何だか何もなくつまらない人生だなあ』と。

そうして、さらに支配者は心のふりをして囁いてくる。

『あなたがそんなつまらない凡人のわけないじゃないか。あなたは世界で一つだけの花、特別な存在なんだよ』

『特別な存在って?』

『あなたは光の人なんだよ』

『ええ、私が光の人?」

ほんとは光の人がそんなものであるはずはない(確かに割合は少ないかもしれないが)、けれど支配者は虚無の人を餌で釣り上げるために嘘をつく。
『そう、光の人だからもう一切のものから自由になっているんだ』

そうして、虚無の人は自分が周りの人とは違う特別な人であると思い、群れから自分で出るか、あるいは群れから追い出されるような行動を取る。

そうしたら、支配者はもう虚無の人を完全に取り込むのは簡単である。

『私の言うことを聞いたら、あなたはもっともっと特別な人になれるよ』

また、支配者は虚無の人を誘惑するのに、違う方向のやり方をしてくることもある。

『ほらっ、自分で求めても、結局、皆と同じことをしているだけじゃないか?』

『それなら、最初から自分で求めたりするのはやめて、もっと楽に皆と同じになるために、これを守ったらいいよ』
支配者は、自分で求めて無意識さんに促されることをやめさせて、手っ取り早く、人と同じことをすればいい、究極的には支配者の示す通りにすればいい、それが楽な生き方だと誘惑してくるのかもしれない。
そんな支配者の誘惑に乗るも乗らぬもまた自由である、全ては無意識さんに許されているのだから。

聖人A 28 狂信

僕は、福岡君にキリストの愛を伝えなければならないと思った。

福岡君自身は、僕がクリスチャンであろうと、それを気にしているような態度はまったく見せなかった。

もちろん、キリスト教に関心を持っているようにもまったく見えなかったが。

ある日も、彼はふらっと僕の部屋を訪ねてきた。

畳敷きの部屋、時折、壁の隙間から風が吹き込んでくるそんな部屋で、彼はいつものようにオカルト話を始める。

『何でぼくがクリスチャンであるのを知っているのに(教会ではオカルトや超能力は悪魔から来ているものと教えられている)、あえて僕が嫌がるようなオカルトの話ばかりするのだろうか?』

そんなことがちらっと頭をよぎる。

不思議なことに、その瞬間、僕の心臓から圧倒的な量の憐れみが放出されたような気がした。

僕の憐れみではなく、僕と共に、僕の中におられるイエスの福岡君に対する圧倒的な憐れみ、僕はその憐れみで、心も体も燃え盛っている。

『これ以上、この愛の炎を抑えておくことはできない』、そんなふうに僕は感じた。

「福岡君、神は君がオカルトに手を染めて自分の魂を汚していることに涙を流しておられる」

「何だって?」

福岡君は目を剥いて僕を見た。

「君のために、君になって十字架にかかってくださったイエスは君のことを本当に心配しておられるんだ」

「ごめん、僕はキリスト教には興味がない」

「そんなことはわかってる、でも、一度、教会に来てくれないか?」

「…」

「教会に1ヶ月来て、君がそれでもイエスを信じることができないなら、その時は僕も君と一緒にキリスト教をやめるよ、これは僕の、そして、イエスの君に対する愛なんだ」

福岡君の顔色がさっと変わった。

「君は何を言っているんだ?僕が何を信じようと、信じまいと、僕の決めることだ」

「わかってる、でも、でも、でも、僕たちの友情のためにそうしてくれはしないだろうか?」

福岡君はしばらく黙っていた。それから、おもむろに口を開いた。

「君が何を信じようと、僕は構わない。でも、君は僕が何を信じるか、それが大きな問題というわけだね。それなら、それなら、もう友達でいるわけにはいかない」

「お願いだから、お願いだから、神は君を救うために限りなく身を低くされたんだ」

僕はいつの間にか、彼の前で土下座をせんばかりだった。
「やめろ、ふざけるな。もう、我慢できないよ」

彼は逃げるようにして僕の部屋から出て行った。

よろよろと玄関まで見送る僕に、振り向きざまに呟いた。

「狂信」

そして、バタンとドアを閉めて僕たちの関係を終わらせた。
『狂信』という言葉は楔のように、僕の心に打ち込まれた気がしてならなかった。

催眠!青春!オルタナティヴストーリー 151 中学3年生

ぼくが蹴った小石はまっすぐ転がるかと思われたが、途中で曲がって傍に転がっていった。

ぼくは大人になりたいのだろうか?

ほんとのところはどうなのか、自分の気持ちがわからない。

中3になると、なんだか時間の流れが急に速くなったようだった。

慌ただしく毎日が過ぎていった。

学校と文芸部と塾の往復を繰り返すだけだった。

文芸部は、ぼくが部長のままだった。岡本さんが卒業して、ぼくと佐伯さんと伊藤さんが3年生、あと佐藤さんという2年生と田中君という1年生が入った。

佐藤さんと田中君は、昔の僕たちのように文庫本を読んだり、何かをノートに書きつけていたが、ぼくたち3年生は文芸部の時間でも受験のための勉強をしていた。

そして、佐伯さんと帰り、家に帰ると無限塾に向かう。

ぼくは家にいるのが嫌だったので、ほとんど一番乗りで塾の自習室に行くのだが、それよりだいぶ経って、はまっちと藤堂さんと福井君が仲良さそうに入ってくる。

はまっちと挨拶を交わして、はまっちのぼくを見る優しい視線と笑顔に、ぼくは砂漠の旅人が一杯の水を得たかのように元気づけられて、また勉強に没頭する。

それから、更にしばらくすると、佐伯さんがぼくの隣にやってきて、机にどさっと鞄を置き、テキストを開く。

そして、塾の授業、無限塾は変な塾という評判だったが、さすがに3年生になってからは、受験を意識した授業になっている。

ただ、呼吸合わせをして、時折、先生たちが話すエリクソンの逸話が僕たちの心を和ませた。

そう言えば、学校では、当然ながら3年生になって、クラスは変わったのだが、ぼくは新しいクラスで新しい友達もできていた。

ひとりは山田君、彼は柔道部で、姿かたちはいかにも柔道部という感じだったが、そんな外見?に似合わず、優しい心と繊細な神経を持ったやつで、いつも自然な笑顔が印象的だった。

もうひとりは深淵君、ふかぶちと読む。みんなにはしんえん君としか読んでもらえなかった。先生にさえそう呼ばれていた。彼は大のアニメ、漫画オタクだった。そして、いつもノートにはやっているアニメのロボットを描いていた。

山田君と深淵君も友達同士で、ぼくは勉強の息抜きに、3人でパン屋のすぐ近くにある山田君の家で遊んだ。

遊んだと言っても、深淵君が持ってきたアニメのビデオを見たり、ちょっとHな漫画を見てたわいもない話をするだけだったが、ぼくには貴重な時間だった。

あとは、友達と呼んでいいかはわからないが、クラスの席で隣の小山さん。

かなり背が低いが、とてつもないおしゃべりで、休み時間、授業中を問わず話しかけてくる。
「ねえねえ、こないだ、うちの店で番をしてたら、お客さんが来たのよ」

小山さんの家はお茶屋だった。

「そう、それで?」

「そしたらさ、お客さんがお会計の時に言うのよ、『お嬢ちゃん、大きいね』って。わたし、とってもうれしくって」

「よかったね」

「いやさ、それで済めばよかったんだけどさ。その後がね。『お嬢ちゃん、小5かい?』と言われたのよ、思わず、頭はたきつけてやりたくなったわよ」

ぼくはなんだかとてつもなくおかしくて、吹き出してしまう。小山さんは自分で言っていて笑ってる。

「おい、そこのふたり!」

そんなことばかりしているので、どの教科の先生にも始終、注意されるのだが、めげなかった。

時には、恋バナのようになった。小山さんは吉井君という他のクラスの男子と付き合っていて、その相談もよくされた。

また、ぼくも小山さんには隠すことなく、はまっちのことを話してしまう。

「はまっちさんって、上地君のことほんとに好きなのね。そうじゃないと、そんなこと言わないわ」

ぼくはうれしいような悲しいような気持ちになったものだ。

 

「心に聞く」ステップバイステップ1−3−1 寂しさや孤独感

そうやって、心に支配と邪魔の排除を1000本ノックのようにお願いしていくと、この前書いたように、心と体が軽くなっていく感じを覚えることもあれば、むしろ、寂しさや孤独を覚えることもある。

どうして、支配と邪魔が減っているはずなのに、寂しさや孤独を覚えるのだろうか?

それは、支配者や人にぐるぐる巻きに支配されて、繭の中に閉じ込められている蚕のようにその中で温かな状態にいたからである。また、支配者の多くが自分の母親であることが多いことを考えてみれば、姿は大人であっても、未だに母親の子宮の中に入れられて、生ぬるい温かさに浸っていたからである。

支配や邪魔の繭、子宮から出るということは、支配者や人とのリードや臍の緒から切られて、自由になることを意味する。

そして、自由になれば、もう支配者のもとにはいない。その時、あれほど、暴力や暴言で自分を縛り付けていた支配者がふと懐かしく思えて、寂しさや孤独を感じたりするのである。

それは、むしろ、自由になっている証なのである。

リンカーン奴隷解放宣言を出した後、解放された奴隷の中には、自分でこれから歩んでいかねばならない寂しさと孤独を感じて、かつて自分を奴隷にしていた主人のもとに戻りたいと思ったものもいたと言う。

そういう寂しさや孤独感は、自分が自由になっている証であるととともに、支配者がこれが最後のチャンスとばかりおいでおいでしているサインとも言えるかもしれない。
もしかしたら、寂しさや孤独感だけではなく、悪夢を見たり、トラブルが起こったりすることもあるかもしれない。

私の場合は、支配が母親とキリスト教から来るものだった。それでそれに関する悪夢をよく見た。
ひとつは、母親が私の体の上にのしかかって鬼のような形相で私の首を絞めてくる夢、また教会で自分が尊敬したり好きだった人たちが現れて自分を教会に戻るように説得してくる夢だった。

支配者は脅したりすかしたり、泣き落としを使ったりしてくるが、それらは皆、自由になっているサインである。

そして、こういうことがいつまでも続いたらしんどいなあと思うのだが、そんなサインはいつまでも続くものではない。トンネルの出口は近いのである。
そこで、前に進んで支配と邪魔を心に排除してもらい続けるか、それとも後に戻って寂しさや孤独感を買って自由を売るかも、また、自由である。
無意識は神ではないから、どういう選択をしても、前に進もうが、後退しようが、私たちを攻めることはない。いいも悪いもなく、ただ、自分がどうしたいのか、ただそれだけなのである。

聖人A 27 親友

高1の時、僕には福岡君という親友ができた。

彼とは何でも話すことができた。

福岡君の親は自衛隊の幹部らしく、割と裕福だった。もっとも、母子家庭の僕からしたら、ほとんど誰も彼も皆裕福に見えたのだったが。

映画や音楽を愛好していた。僕は映画館に行ったりレコードを買ったりするお金もままならなかったから、最近、観た映画の話を聞いたり、いいと思ったレコードを貸してくれるのがとてもうれしかった。

ある時、ビートルズAbbey Roadというレコードを貸してくれた。

僕は初めて聞くビートルズがうれしくてたまらなかった、母は悪魔の音楽(何でもジョンレノンが自分はキリストよりも有名だとか言ったことを母は根に持って、それ以後、ビートルズは悪魔の音楽と言っていた)と言って嫌っていたが、妹は僕と一緒に喜んで聴いていた。

僕は、借りたレコードを粗末なレコードプレーヤーにかけて、何回も何回も聞いていたが、ある時、針のついたアームを手を滑らせてレコードに落としてしまった。

あわててレコードを取り上げてみると、黒い盤面にくっきり傷がついていた。

僕は冷たい嫌な汗が背中に流れるのを感じた。

母に頭を下げて、お小遣いを前借りさせてくれと頼み込んだ。

「そんな悪魔の音楽を聴いているからよ」

母はにべもなくそう断ったが、人のものを傷つけたままでいることはクリスチャンとして神様の証にならないと言って、結局、お小遣いを前借りさせてくれた。

僕は、レコードを福岡君に返す時、事情を話して、茶封筒に入れたお金を渡そうとした。

彼は受け取ろうとしない。

僕がどうしても言うと、彼は言った。

「それなら、このお金で一緒に映画を観に行かないか?」

僕は、ほとんど映画館に行ったことがなかった。だから、好奇心からYESと言ってしまった。

福岡君と行ったのは、吉祥寺の映画館だった。

男2人で観たのは、「ロミオとジュリエット」だった。僕は、この映画にヌードシーンがあることを知らなかった、今話題になっているように出演者も知らなかったようだが。

そのことは、当然、僕の良心を混乱させた。

僕は家に帰ってから、部屋で正座して神に祈り、赦しを請うた。

また、福岡君はオカルトにはまっていたことも、僕には大きな問題だった。

「家で寝ている時、気がつくと上から自分の体を見ているんだ」

「そんなことあるの?」

「あるんだよ、それで僕は浮かんだまま、ドアを通り抜けて、隣の部屋で寝ている親を上から見たんだが、すると、『そこまで』という声が聞こえて戻ってきたんだ」

僕はその話を聞きながら、心の中で激しく葛藤していた。