無意識さんとともに

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回復のための3つの川仮説2

(以下は、まだ下流、つまりトラウマセラピーを受けている人は読まなくていい内容です。)

思い出すと、下流から中流へ(ここでいう下流とはトラウマ処理、中流とは人格の統合を指しています)、つまり、支配者という外在化のナラティブからパーツという内在化のナラティブにナラティブチェンジするのはけっこう苦しいことでした。

 

それまでは、何かことが起きると、自分の言動をまず支配者の影響という枠組みで理解していたため、自分自身の選択や在り方に目を向ける必要はあまりありませんでした。

 

もちろん、だからこそ、自分を責めずにトラウマの処理に専念できたのですが、トラウマがあらかた処理できた後は、前に述べたように、それでは支配者への恐れが完全に拭い去られることは難しく、それだけではなく、グラウンディングして自分が自分の選択で自分の人生を生きるということも困難です。

言い方を変えれば、自分の人生がとにかく支配者からの影響をゼロにしようというところにフォーカスされて、自分の足で自分の人生を歩むというところにフォーカスされないからです。

私は思い切って、一時的にでも支配と邪魔の排除をやめてみて、自分のパーツとの対話に集中することにしました。

ただ、それにこの私では無理な感じがつきまといます。

この、今もいろいろな影響を受けている私ではどだいそんなことは無理なのです。
FAPの世界観にある通り、「無意識さんには愛があるが、人間には愛がない』というのは、この生身の私には当てはまります。

この私は、自分のさまざまなパーツを愛せるようなものではありません。

だからこそ、パーツセラピーでは、この私ではない、大きな私、つまりセルフの存在がどうしても必要になるのです。

この私は、相変わらず恐れや混乱に巻き込まれやすく、パーツを愛することなど無理なのですが、

セルフは、どんな恐れや混乱があっても、それに飲み込まれずパーツを愛することができるのです。

この私からセルフへのジャンプが必要になってきます。

そのジャンプが起こると、自然とナラティブチェンジが起きて、一気に楽になるのです。

そのためには、頭ではなく、パーツとのブレンディングが解除されて、セルフが私の内側に現れることを体験することがどうしても必要になります。

私は、パーツセラピーの本当の肝は、パーツを理解することではなく、セルフを内側に体験することにあると思っています。

セルフが現れると、パーツとの関係が自然に変わるのです。

そのとき初めて、ナラティブは頭で変えるものではなく、体験として変わっていきます。

愛しい怒り

昨日、こんなことがありました。

妻に付き添って薬局で薬を受け取り、お金を払いました。

千円札2枚を受け取り皿に置き、その上に落ちないよう小銭を重ねると、薬剤師さんから「千円札が一枚足りません」と言われました。

そんなはずはないと思って戸惑い、謝罪して、千円札をもう一枚財布から出そうかと迷いました(これが今までの私のパターンです)。でも、確かに置いた記憶があったので床をちらっと見ていると、近くにいた方が「そこに落ちていますよ」と教えてくださいました。

私はその方に「ありがとうございます」とお礼を言い、千円札を拾って薬剤師さんに渡し、そのまま帰りました。

ところが夜中に目が覚めたとき、ふと思いました。

実際に誰が落としたのかはわかりません。でも、薬剤師さんはご自身が落とした可能性には触れず、最初から私の落ち度であるかのように話されたように感じたのです。

そのことを思い出した途端、怒りが湧いてきました。

以前の私なら、「怒るなんてよくない」「こんなことで腹を立てる自分がおかしい」と、自分を責めていたと思います。

でも今回は違いました。

「ああ、私のうちに怒りがあるんだね。」

そんなふうに怒りの存在を認めたのです。

すると、こんなことが起きました。

怒りが何だか貴重なものに思えてきたのです。むしろ、自分を守ろうとしてくれた大切な存在のように感じられました。

そう思えた瞬間、怒りは抑圧することも、発散することもなく、役目を終えたかのように、ふっと静かに消えていきました。

私は長い間、怒りを悪いものだと思って生きてきました。

幼い頃は親との関係の中で、そしてキリスト教時代には神との関係の中で、その思いはいっそう強くなりました。

怒りを感じるたびに自分を責め、心の底に見えないように押し込み、ときには抑えきれず爆発させる。その繰り返しだったように思います。

キリスト教を卒業し、親との関係も少しずつ癒されてきたあとも、怒りを感じると抑圧したり、怒る自分をどこか気持ち悪いもののように感じたりする癖は残っていました。

もちろん頭では、怒りも人間に備わった大切な感情だと理解していました。それでも、腹落ちはしていませんでした。

それが、今回初めて、怒りは得体の知れないモンスターではなく、自分の境界や尊厳を守ろうとしてくれる、大切なナイトなのだと、お腹の底からわかった気がしました。

21日間瞑想後の変化

21日間瞑想後の変化

1 ずっと睡眠の補助として飲んでいたメラトニンなしで眠れるようになった。

2 罪悪感や敗北感なく休めるようになった。

3 時間の流れが緩やかにゆっくりになって焦りがなくなった。

4 中心軸が背中に通っているように感じられて人の言動や感情に動揺しにくくなり、動揺してもすぐに戻れるようになった。

5 心と体だけではなく、過去の自分と現在の自分の統合が進んだ。特に、拒絶していたキリスト教時代の霊的な体験が普遍的な体験として今の自分の体験とひとつに再構成された。

6 何十年もやってきた瞑想はまるで暗い海に潜水するような苦しい感じだったのが、楽しくいのちに満ちた自然なものに変化した。

7 柔軟性が増した。これでなきゃダメというのがなくなって、時と場合と状態によって柔軟に対応できるようになった。

詳細

2 予定だからとか、ここまでやらなくちゃいけないとか、これが正しいとか、つい力んで頑張ってしまうのだけれど、それが『もうこれで十分』と罪悪感や敗北感なくスッパリやめて、休めるようになってきている。

そう自分をコントロールするのではなく、自然にするりと。

3 一秒一秒の時間が長く充実して、時間の流れがゆっくり緩やかに感じられる。

焦りがなくなったからそうなのかと思ったが、どうやら逆で、時間がゆっくり感じられるから焦りがなくなったという方がピッタリくる。

4 人の言動や状態に動揺しにくく、動揺しても、起き上がり小法師のようにすぐに戻れるようになってきている。

前は、境界線を保とうと一生懸命していたのですが、今は太陽と地球につながって、何だか中心軸が自分を貫いて自然と境界が保たれる感じ。

5 心とからだが統合されていくだけではなく、拒絶していた過去の自分と現在の自分も統合されていっている感じがする。
もっと具体的に言うと、過去のキリスト教の中で体験したいいものが普遍的なものとして、現在の体験とつながってきている。

もちろん、制度的なキリスト教に戻ろうとはまったく思わないけれど。

6 そう言えば、何十年といろいろな瞑想は、暗い無意識の海にあえて潜水するような苦しさがどこかしら付きまとっていたが、

21日間瞑想の後、それが楽しく自然で軽やかなものに変わった。

 

 

21日間瞑想③ 第15日目〜21日目

ここでは、イメージだけではなく、思いや感情、記憶も現れては自然な呼吸と瞑想に運ばれては消えていった。そして、外なる光だけではなく内なる光と変わらずある静けさに気づく。

第15日目 2026/06/24

 

懐かしい想いやいろいろ感情がシャボン玉のように現れては消えていく。

そうして、後は体感だけが残る。

体感はうねりのようになり、お腹に大海のようなものがあるように感じられる。

そのうち、その感覚も消えて、後はただ楽にスーッと呼吸し、ひたすら軽く瞑想している状態になる。
リリースは数回。

 

第16日 2026/06/25

昨日は、瞑想後、とてもからだがだるくなり、一日中スローペースで休んで過ごした。
今までと違うのは、そういう休みを取ることに罪悪感がほとんど浮かばなくなったことだ。

今日の瞑想は、からだのだるさを引きずっているのか、呼吸とからだが重い感じ。

イメージは湧かないが、思いは時折、頭の中をよぎっては過ぎていく。

そのままにしておくと、リリースが起こり、後半、思いは消え、呼吸とからだが軽くなっていく。
今までのように光をイメージで見るのとは違っているのだが、ただ光、どんな状態でも自分が光であるのに気づく。


第17日 2026/06/26

 

最初、思いが彷徨ったが、その後はただひたすら光の体感。

これは外なる太陽というより、内側にある自分の中心から発しているような光。

予想に反して、今日はリリースがたくさん起こった。今朝はあまり睡眠がとれなかったせいだろうか。と言っても眠たい感じはない。
その後は呼吸ひとつひとつがとても軽く、けれどものすごく濃密な味わい。

『もうこれで十分』という感じがして、予定より早く目を開ける。

瞑想後はまたとてもだるくなり、一日中、用事もキャンセルして休む。

 

夕方になって、なんだか透明な膜が取れたような、自分がさらに一段階浄化されたような気がして、急にからだと心に力が戻る。

 

第18日 2026/06/27

ただ呼吸を感じる。

途中で、海の上に浮かぶ緑の島に桜の木がたくさん植っていて、桜の花びらが無数に散り、海が桜色に染まっているイメージが出てくる。

 

さらに、呼吸を感じているとそれも消えて、ただ楽に呼吸。
リリースは何回かあった。
桜の花びらが散って海を染めるように、何かが美しく手放され、大きなものに溶けていく感じがした。

その後、また夕方になってだるさが増し、横になって休んだ。
こんなに眠って夜眠れるか疑問だったが、夜は今までよりよく眠れた感じ。
これも瞑想の影響かもしれない。



第19日 2026/06/28

 

今日は、いろいろな過去の人間関係、また現在の懸念、未来についての心配が浮かび上がる。

呼吸を続けていくと、それらもポロっとひとつずつ剥がれ落ちて、静かになっていく。

さらに呼吸と瞑想はなめらかでスースーと抵抗がない。
もうずっと前からこの瞑想をしている感じがする。

 

第20日 2026/06/29

 

最初は、いろいろ思いが湧く。

そして、ただ光を浴びて暖かい感じに満たされる。

それから、自分が内なる太陽に照らされる青空のような体感。イメージというより、自分が光に浸される青空。

さらに、自分が青空を照らす太陽でもあるような感じ。

最後には、自分は照らす太陽でも照らされる青空でもある。

呼吸は風のような軽さ。

リリースは1回だけ。
光を受け取る自分と、光を発する自分が、分かれていないように感じられた。

第21日 2026/06/30

 

また、新たな層の新たな浄化が始まったのか、いろいろな想いや記憶が噴き出てくる。

けれど、それを消そう癒そうとはせずにただただ呼吸に委ねていくと、呼吸に運ばれ消えていく。

そして、リリースが複数回。

最後には、ただ光と静けさ。

この光と静けさは、いろいろ噴き出ていた時も変わらずそこにあったらしい。

過去にもあるし、今もあるし、未来にもある。いつも現在の『ある』。

 

21日間瞑想② 第8日目〜14日目

ここでは、いろいろなイメージがあらわれては役割を果たしまた消えていった。
さらに、リリース(ディスチャージとも言う、無意識に溜まった緊張がほどける時に現れるからだの振動、震え)も緊張が減るにつれ、回数が減っていったようだ。

第8日目 2026/06/17

 

エネルギー量が増えた感じ。
からだの中をエネルギーが通っているだけではなく、からだの外もエネルギーが通って、巨大な柱のようだ。

反面、深い海の中にいるような静けさもある。

リリースは数回起きた。からだ全体が上下に振動する感じ。

とにかく、『すべてが大丈夫』そんなどっしりした気持ちが腹から湧き上がってきた。

第9日目 2026/06/18

 

以前、ハコミのワークでスワロフスキーでできた心臓(左が氷のような青で、右が炎のような赤)のイメージが出てきたのだが、
瞑想中に、そのガラスの心臓の奥に生身のピンクの心臓が出てきた。
そのイメージが出てきている時も、内と外で光の柱にホールドされて安心・安全がキープされている感じ。
その生身の心臓が鼓動して心とからだに血液を送る。
その後は、リリースが何回となく起こった。
瞑想した後も、ちょっと意識を集中すると、リリースが起こる。

そう言えば、疲れが全く消えているのに気づく。
私のいつものパターンだと、今日は相当疲れているはずなのに、ない。

第10日目 2026/06/19

 

瞑想をしていくと、からだの上半身は火の柱、下半身は水の柱のように分かれて感じられた。そして、ちょっと息が苦しくなり、心の思いも出てきた。

そのうち、火と水は互いに交差し、交わり合い、混じり合い、ただの光の柱に変わった。

すると、呼吸が楽になり、静かになり、思いも消えていった。

そうして、細胞まで光が満たされる感じで、リリースが何回となく起きてきた。
火と水、上と下、情熱と静けさが、ひとつの光の柱として統合されていくようだった。

第11日目 2026/06/20

 

太陽の光と地球のエネルギーとつながって、さらにダイヤモンドライトの光に浸されていくと、みずみずしい光の球である水星がイメージで出てきた。

自分が水星になって、太陽と地球と直列している。

そして、呼吸がとても楽に楽に、なめらかになり、瞑想自体もしているのかしていないのかわからない感じになっていく。

第12日 2026/06/21

 

開けた明るい森の中に、何の変哲もないただの白樺の木が出てきた。空は青空、風が気持ちよく吹き渡る。

私はその白樺の木になって、静かに穏やかに、太陽の光を楽しみ、地球の水を浸されながら、ただただ呼吸をしているだけ。

瞑想自体は何の抵抗もない、ますます自然なものになっていく。

リリース自体は、10回以上起きたけれども。

第13日 2026/06/22

 

瞑想中、今日はイメージが移り変わる。
最初は白樺、ただ一本だけではなく、白樺の林の中に私はある。
次に、蒼空。そして、みずみずしい光である水星。

その後は、イメージは消える。
リリースは昨日と比べると回数は減る感じ。
呼吸はさらに楽になった。

瞑想の効果なのか、アダマや他の人のサポートのおかげなのか、お腹のところにエネルギーの塊が何もしなくても感じられる。

そこには、揺るがされない感じがある。

外から何かを加えられたというより、自分の中にもともとあった中心が、サポートと瞑想によって現れてきたように感じる。

ハートや光の体験を、腹の中心が支えてくれている感じがある。

第14日目 2026/06/23

 

瞑想をすると、なんというか、輝く暗黒。明るい暗黒(言葉が矛盾しているけれど)で、それが心地いい。

さらに瞑想していくと、輝く暗黒も消えて、イメージが一切消える。

リリースは複数回起こったが、昨日より回数は減る。

ただただ温かい、エネルギーに満たされた体感だけがある。

終わり頃、『もうこれでいい』という感じがして、いつもより少し早く目を開けた。
何かを見ることや起こすことより、ただ温かく満たされていることで十分、という感じがした。

イメージをあえて払いのけるのではなく、かといってイメージにしがみつくのでもなく、イメージは風に運ばれる花びらのように自分の中を通していくと、イメージは役割を果たして、また風に運ばれ消えていくもののようだ。

21日間瞑想① 第1日目〜7日目

ハコミの創始者ロンクルツの愛弟子であり、レガシーホルダーでもあるアダマさんの指導とサポートによる21日間瞑想の記録です。

アダマさんの瞑想は、太陽(天)と地球(グラウンディング)にまっすぐつながる瞑想だと言えると思います。


ちなみに、毎日、心地良かったことを5つ以上記録するという課題が出ているのですが、私は「…が美味しかった」「前にできない…ができた」とかものすごく小さな個人的なことをノートに記しているのでとりあえず内緒です(笑)。


第1日目 2026/06/10

瞑想中、からだが静電気を帯びたような感じがあり、自分のお腹の底からエネルギーが沸き起こっているようだった。

瞑想後、眠くなって1日に3回ぐらいうとうとと眠ってしまった。

自分の中が浄化されている感じ。

第2日目 2026/06/11

 

瞑想中は、昨日と同じく、透明なエネルギーが下から上に溢れ出す感じ。
ただ、終わり頃に、トラウマ的なことを思い出し、胸が痛くなる。
その後、フォーカシングの練習で、フォーカシングをすると、自分のすごく奥深くまで探ることができて、プロセスが一段進んだようだった。
今日も相変わらず眠たく、目の前に霧がかかっている感じ。

 

第3日目 2026/06/12

瞑想中は、エネルギーが落ち着いてからだに浸透する感じ。

昨日に続いて強い眠気。

疲労が噴き出して、十数年ぶりに深くリラックスして眠れているような感覚。

自分のものではないものを手放して、蓄積している緊張と疲労がほどけているよう。
セッション前にもやってからクライアントとのセッションに臨んだが、ものすごく一体感を感じた。

第4日目 2026/06/13

瞑想中、一段と深いところに入って、湖の湖底にでも潜ったような静けさ。
湖底なのに、光が届いてキラキラするが、眩しくはない。
終わると、疲労がなくなっている。
トラウマセラピーのセッション前もこの瞑想をしてからやったが、セッション中、頭の中がシーンとしていて、周りの音が入ってこない感じで驚いた(耳が異常になったのかと思ったが、そんなことはなかった)。
いつもより、心の声がクリアに感じられて、直感が冴えわたったみたい。

第5日目 2026/06/14

 

今日の瞑想中は、とにかく静かで、ただ静けさに浸っていたが、その静けさの奥まで下降すると、自分の中心核みたいなものに触れて、からだが急に振動してリリースが起こった。リリースはその後も起きて、なんというか自分の中心から余計なものが吹き払われる感じがした。

第6日目 2026/06/15

 

瞑想中は、なんだか自然な感じ。周りとの境目がなくなって一体感を感じる。小鳥の声が聞こえたが、外からなのか内からなのかわからないような。

疲れていたせいなのか、リリースが5回起こり、1回は上から押される力を感じて、前にお辞儀する格好になった。

リリースしたせいか、疲れも抜けてスッキリ。

妻と紫陽花を見に行った行きの電車で、隣の席の男性が何かCDのシールをずっと剥落として騒音を立てており、なんだかとてもイライラし、また気持ち悪くなってしまった。
それで、とりあえず、ノイズキャンセリングイヤフォンを音楽なしでして、それからこの瞑想をしたら、心が綺麗さっぱりした。

第7日目 2026/06/16

 

瞑想が深まっていくにつれ、太陽に枝を伸ばし、地球に根を張り、周りの空気と交流する光の木のイメージが出てきた。

自分がその光の木である感じがして、心もからだも波が消えて、ただひっそり呼吸しているような。

ああ、これって御神木なんだなと。

後半は、またリリース、上から押されて上体が前に倒れる、またリリースが起こったが、自分が光の木であるイメージはずっと続く。

回復のための3つの川仮説1

(以下は、あくまで私の体験から導き出した仮説にすぎないことをお断りしておく)

私が今まで難治性鬱から回復してきたプロセスを振り返ると、3つの段階があったと思う。
3つの段階は、川の下流、中流、上流にたとえられるかもしれない。

1 トラウマセラピー(下流)
FAP(他のトラウマセラピーでも同じ)を受けてトラウマを処理する段階。
これによって、それまでひどく疲れやすく週に3日ぐらい寝込んでいたのがそういうことはなくなり、何とか日常生活を送れるようになった。
これは、マイナスからギリギリの0のところまで戻る感じ。

2 催眠、パーツセラピー(中流)
トラウマは処理されても、心身の警戒モードは解けない。
常に緊張状態にある。
特に、支配者(FAPでは、人を支配者、虚無、光の人に分ける)を前にすると、何だかサイレンが鳴り響く状態になる。
いわゆる闘争か逃走かという交感神経優位になり、それで疲れ切ると、今度はフリーズした背側迷走神経優位になる。

ところで、FAPの支配者という外在化のナラティブは、まさに劇薬とも言える。
FAPとは、毒をもって毒を制すトラウマセラピーである。
(ノイズキャンセリングヘッドフォンのように、ノイズでノイズを打ち消すものとも言われてもいるが)

毒でもノイズでもいいが、ある程度、トラウマが処理された後は、この支配者というナラティブは、ただの毒でありノイズになってしまう。

というのは、支配者がいるという世界観を持ち続けている限り、闘争か逃走かという交感神経優位のサイレンモードは解除できないから。

自分を攻撃してくる支配者がいるなら、そう易々と警戒を解くわけにはいかなくなる。

だから、この2段階目は、この支配者というナラティブからきっぱり卒業することが必要になってくる。

ただ、卒業するためには、人によっては柔らかく離陸するには2ステップが必要かもしれない。

1ステップ目が、催眠でトランスに入り、トランスに入ることで、無意識さんと親しくなること。
トランスは無意識さんのシェルターみたいなもので、支配者の攻撃は感じられなくなる。
そういうトランスに入ることを重ねれば、無意識さんへの信頼が増し、支配者に対する恐怖は減り、結果的に、交感神経優位モードの解除に繋がっていく。

2ステップ目は、さらに、支配者というナラティブを手放して、交感神経優位モードを解除するために、パーツセラピーをして、もはや外在化ではなく、自分の内側のパーツに目を向けていく。

その時に、最も必要となるのは、セルフという存在である。

セルフ(自己)とは、無意識、神、大我…言葉では何であってもいいが、そういう自分を統合していく力を持ったものが、自分の中にあるということだ。

ここがかなめとなる(実際、「悪い私はいない」というIFSの本の中では、パーツにスペースを空けてもらうことでセルフが現れる)。

FAPや催眠の中でも、無意識さんが語られるわけだが、この無意識さんは、自分ではない。
無意識さんは愛を持っているが、自分にはない。
だから、この私は、無意識さんを対象として、無意識さんの愛と力と知恵を外からもらうことが必要になる(これはある意味、キリスト教に似たモデルである)。

けれど、そういうナラティブでは、支配者のナラティブを完全に解消して、自分の中のパーツを統合し、チャイルドを救い出すことはできない。

まるで、曼荼羅のように、自分とひとつである無意識が中心にいて(仏教や神道に近い)パーツやチャイルドが統合されていくのである。

こうして、支配者のナラティブは消えて、腹側迷走神経優位の状態となる。
マイナスを完全に取り除くことによってではなく、こういうナラティブチェンジをすることで、初めてマイナスは完全に消えてプラスに転じる。

これには、人によっては、かなりの時間と労力が必要となる。

(続く)