A1
Sとは帰る方向がたまたま同じだった。それで、東西線に乗って高田馬場に向かったが、顔色はどんどん悪く、顔にうっすら汗が滲んでいた。
高田馬場で西武新宿線の下りのホームに着く頃には、呼吸が苦しいと言い出した。仕方なく、ベンチに横にならせ、駅員を呼んだ。
親切な駅員は駅長室に運んでくれ、駅長室にある大きな黒いソファに寝かせてくれた。しばらく経っても症状は全く改善しないので、ついに救急車を呼ぶことになった。
家族に連絡しようと思ったが、Sはうわごとのように「心配するから連絡はしないでくれ」と繰り返した。
高らかにサイレンを鳴らして高田馬場の街を疾走する救急車に同乗して高田馬場にある個人医院に着いた。木の大きく細長い表札に『細川医院』と毛筆で書かれた古そうな医院だった。
「Sさん、診察室にお入りください」とやる気の感じられないただひとりしかいない受付がぼそっと言った。
口髭を生やした威厳ありそうな医者が出てくるのかと思ったが、出てきたのは若い女性の医者だった。白衣は着ていたが、顔は細面で、髪はロング、黒いミニスカートに、化粧もしていた。
「どうなさいましたか。」
Sは答えられそうにないので、喫茶店で話しているうちに具合が悪くなったことを手短に話した。
「上半身脱いで。」
Sはたじろいでいるように見えたが、渋々、服を脱いだ。女医はすかさず、聴診器をあてた。カツという音が聞こえたが、ハイヒールが床にぶつかる音だったようだ。
「ちょっと脈も乱れているようね。」
「この男がタバコを吸わないので、代わりにタバコを吸ってやっている。」
Sは唐突に言い出した。
何でも、喫茶店で話した時に吸ったタバコが生まれて初めてのタバコだったらしい。病名は、急性ニコチン中毒になるらしい。
その後、数時間、点滴を打たれて、「タバコは体に合わないからやめた方がいいいわね」という賢明なアドバイスをいただいた。
もう、高田馬場の街は夕闇に暮れていた。Sに肩を貸してやって、駅を探して住宅街を彷徨い歩いた。
急に、彼は泣き出した。
「僕は君を誤解していたらしい。」
次の日、大学で会うと、顔色はすっかり戻っていた。
「やあ、昨日は世話になったね。」とガハハと笑いながら言った。
私は、心ひそかに、Sに『ホラ吹き』というあだ名をつけた。
Sはそういう奴である。