ちょっとしたことでも、赤面してしまう人間だった。
中学校の時、朝礼で、先生が「誰かが理科実験室の備品が壊された。やったものがいたら、正直に言いに来なさい」と言うと、
自分がやったわけではないのに、赤面してしまう。
さらに、『こんなに赤面していたら、みんなに自分がやったと思われるんじゃないか』などとぐるぐる考え出す。
そうすると、さらに冷や汗まで流れ出してくる。
たぶん、今流行りのHSPだったことは間違いない。
大人になったらなったで、キリスト教を信じていたせいもあるのかないのか、電車の中で、前に座っている人の苦しみが、いろいろなイメージになって頭の中に流れ込んでくる気がする。
自分が巨大なパラボラアンテナになったみたいで、人の中の微弱な電波さえ映像の形で拾ってくるみたいだ。
そうして、相手の苦しみに同調して、具合が悪くなって、電車から一刻も早く降りたい気持ちになってしまう。
自分の人生、そんなことばかりだった。
つい、数ヶ月前、エリクソンの弟子のランクトンの本を読んでいた時に、なりたい自分の姿をイメージするというワークがあった。
それで、私がイメージしたのは、大木のように揺るがないふてぶてしい自分の姿だった。
その後に、心に「極悪人になれ」と言われたのだから、これはそのワークの答えだったのかもしれない。