あれから、佐伯さんは部室に寄り付かなくなった、それまでほぼ毎日、お昼休みも放課後もいたというのに。歩道橋で別れた時の最後の言葉が耳を離れない。
ぼく以外の二人の女子は、佐伯さんがいなくなったことに特に興味を示していない。ただ、淡々と彼女らのいつものルーティンをこなして、時間になると帰っていく。
『ぼくにできることは何かあるだろうか?』、そう思ってみても答えは分かりきっていた。
それでも、佐伯さんのクラスに行ってみようと思った。
教室のところまで行くと、どうしたらいいかわからず、開いているドアのところで立ち尽くしていたが、今はもうクラスが変わってしまった二瓶君がぼくを見つけて駆け寄ってきた。
「上地、どうしたの?何か用?」
「佐伯さんっていないの?」
ぼくは教室の中をざっと見回しながら言った。
「佐伯?ああ、休んでいるみたいだよ」
「そうか、ありがとう」
「言っておくけど、佐伯にあまり近づかない方がいいよ。良くない噂があるからさ」
ぼくは二瓶君でもそんな噂を信じることにがっかりしながらも、胸の前で手をひらひらさせた。
「そんなんじゃないよ、部員だからさ、佐伯さん」
何だか、嘘をついているような、嫌な気持ちになってその場からすぐ離れ去った。
『他にどうしたらいい?』、ぼくはあることを思いついた。
放課後、ぼくは家にいったん帰って、学校でもらった連絡名簿を見てから、また家を飛び出した。
住所を見て、佐伯さんの家を探したが、拍子抜けするぐらい簡単に見つかった。学校の前にある文房具屋のそばの住宅街にあった。
古いブロックの塀で囲まれた、平屋の一軒家。
そこが佐伯さんの家だった。チャイムを1度押してみるが、反応はない。
ぼくは思い切って、2度3度と押してみた。
しばらくして、玄関の引き戸ががらがらと開いて、普段着の佐伯さんが出てきた。
ぼくを見ると、一瞬、顔を曇らせたような気がしたが、いつもの調子で言った。
「部長じゃないですか?もしかして、思い直して、来てくれたとか?」
「いや」
「わかってますよ、まあ、とりあえずあがってください。お茶とお菓子ぐらいはお出ししますから」
「そんなことより、具合は大丈夫なのか?学校休んでるようだけど」
「心配してくれるんですか?うれしいです」
佐伯さんは笑ってみせたが、泣きそうな笑顔だった。
「さあさあ」
そう言われて、家に入る以外の選択肢はなかった。
玄関で靴を脱いで、上がると、あちらこちら、だいぶ散らかっている。
「見ないでくださいよ、恥ずかしいですから」
真っ直ぐ進むと、佐伯さんの部屋があった。和室で、畳の上にベッドと机、そして化粧台があってよくわからない化粧品が置いてあった。
「座るところないんで、ベッドに座っていてください」
花柄のベッドカバーのベッドに座ったが、何だか落ち着かない。
しばらくすると、佐伯さんはトレイにジュースと色々なお菓子を載せてきた。そして、自分は机の椅子を近づけて座った。
「あんまり見つめないでくださいよ、すっぴんですから」
「家の中が静かだけど、家族の人は?」
「今、誰もいません。だから、私を押し倒しちゃっても大丈夫ですよ?」
「…」
「冗談ですよ。本気にしちゃって、やだなもう。ところで何の用ですか?」
「いや、部室にも姿を見せないし、学校も休んでいるから心配になって…」
「心配いりません」
佐伯さんはぼくの言葉を遮るように言った。
「いや、何か力になれることがあったら」
「心配いらないです。あなたは何者なんですか?」
「何者って?」
「私とどういう関係って意味です」
「関係って、部員だし、友達だし…」
「それだけでしょ」
「それだけじゃない、大切な友達」
ぼくは『大切な』というところを強調して言った。
「それはありがたいことです、友達がひとりもいない私にとっては」
佐伯さんは顔を歪ませた。
「…」
「でも、彼女でも、家族でもないんです」
怒っているように見えたが、もうほとんど泣き出しそうにも見えた。
「部長は、『優しさほど、人を傷つけるものはない』という言葉を知らないんですか?」
…
ぼくは、佐伯さんの家を後にした。
はまっちとの約束の日はもう、その翌日のことだった。