無意識さんとともに

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催眠の現象学96 再び心の癖の治療

ここのところ、ずっと調子が悪く下降気味で、ついにはお迎えが来るんじゃないかと思っていました、まあ、半ば冗談ですが。

いろいろやってはみるんですが、どうにも調子が上向きにならないんです。

果ては、寝込んだ状態になってしまいました。

 

何だか頭に靄がかかった感じで、体はふわふわして力が入らない感じです。

 

自分で自己催眠なり、セルフレイキをして耐え忍んでいましたが、夜は中途覚醒してしまい、何とかまた眠りにつくと、今度は早期覚醒するんです。

 

お医者さんにかかればいいと言われるかもしれませんが、アレルギーがあって体が薬に過剰に反応するので、滅多に医者にかからないんです。

だから、自分で何とかしようというのが、いつの間にか習い性になっていました。

 

けれど、このままではまずいというところまで来ていて、どうしようかと。

そこで、浮かんだのが、友達にやってもらって、霊気による心の癖の改善(性癖改善)でした。
遠隔でやってもらっても、身体中に帯電した毛布をかけられたようなそんな感覚になって、楽になるんです。
「直接すると、もっと心地いいよ」
そんなふうに言われたことが脳裏をよぎったんです。

実際会って、直接やってもらったら、何か変わるかもしれない。

と言っても、友達は遠方に住んでいて、おいそれとは行けないし、弱っている今の状態ではなおさらです。

それでも、もう自分でできることはないと思って、頼るならこの友達だと思って、行く準備を始めました。

ところが、認知機能が下がっているのか、新幹線の予約で、フィッシング詐欺にあってしまいました。

けれども、朦朧とした頭で、カード会社に連絡し、今あるカードを止めてもらい、カードを再発行する手続きをしました。

それでようやく、新幹線を予約できました。

春のこの季節で、新幹線は行きも帰りもいっぱいで、予約するにはギリギリのタイミングでした。

ところが、その後、カード詐欺の件があったからなのか、さらに具合悪くなってしまい、そもそも、この状態で行けるのかも怪しく思われたんです。

そこは、何とか、自己催眠とセルフレイキで自分を整えようと。

そして、日曜日、出かけたんです。

駅に着いて、約束の改札口に行くと、友達が待っていました。
頭に靄がかかっているせいなのか、友達の姿も朧に見えます。

とりあえず、食事に行こうと歩き出しました。

ところが、私は雲の上を歩いているようで、足が地面を踏んでいるとは思われません。

友達が予約してくれた和食のお店に着いて、注文してきた和食膳を食べたのですが、自分が食べ物を食べている実感がありません。
我ながら本当に大丈夫かなと思ってしまいました。

食べるのに時間がひどくかかってしまいましたが、ようやく食べ終えました。

そうして、友達はそこで私に心の癖の改善をしてくれたのです。

そうです、そこは個室になっていて、他の個室からの音は聞こえましたが、霊気をしていても特に何とも思われなかったのです。

椅子に座って、最初は、短い時間、普通のレイキをしてもらって、その次に、心の癖の改善をしてもらいました。

目を閉じているのでわかりませんが、触れられている感触はないので、頭に手をかざされているようです。

頭頂から尾骶骨まで、エネルギーが通る感じがして、体が前後左右に揺れたり、時折、ビクッと動いたりします。

普通の催眠のトランス状態とも、他のレイキを受けた時とも違う、体が帯電して、その度合いが加速度的に増加している、でも心地良い感じです。

あまりに心地よいので、「終わりました」と言われた時、ああ、ここから出たくないなと非常に残念な気持ちになったのを覚えています。

目を開けると、部屋の明かりがやたらに眩しく感じました。

最初はずっと目を閉じていたからなのかなと思いました。

けれど、瞬きをして、目が慣れると、それまで目を覆っていたヴェールがなくなっているのがわかりました。

やたらに、ものがクリアに見えるのです。

友達の顔もおぼろだったのが、くっきり見えて、私の知っている友達の顔になりました。

そうして、店を出て外を歩いてみると、それまで、雲の上を歩いているようでふわふわとしか歩けなかったのが、普通に早く歩けるようになっていたんです。

何だか、墓の中で死にかけていたのが生き返ったような、夜が昼になったようなそんな感じが強烈にしたのを、心と体に刻み込まれたように覚えています。

催眠の現象学95 コア・トランスフォーメーション⑴

「コア・トランスフォーメーション」(春秋社)のコア・ステイトエクササイズを5ステップまでやってみました。

1 取り組むパートを選ぶ

1-a 何かも虚しく感じてしまうという自分の中のパートに取り組みたいと思いました。

パートを体験し、受け入れ、歓迎する

1-b 身体が霧のようになって消えてしまうような感覚を感じました。そのパートを受け入れて歓迎しているうちに、霧がぼうっと光る感覚がありました。

2 最初の達成目標を発見する

2-a 「あなたは私のために何を望んでいるのですか?」

完全さを望んでいるという答え。身体が枠の中に入れられているような感覚を感じます。

3 達成目標の連鎖を見つける

3-a 「あなたが完全なら、望み通りに完全なら、そのことを通して、あなたが欲しいと思うもっと重要なことは何ですか?」

「私は完全であるなら、満ち足りていられる」

光がもっと強くなってような感覚を感じます。

3-b 「あなたが望み通りに満ち足りていられるなら、そのことを通して、あなたが欲しいと思うもっと重要なことは何ですか?」

「自由に空を羽ばたくこと」

パートが白い鳩になって青空を飛び回るイメージが浮かびます。

3-c 「あなたが望み通りに空を羽ばたくような自由でいられるなら、そのことを通して、あなたが欲しいと思うもっと重要なことは何ですか?」

「ただあること」

微笑んで宇宙の中にただあるイメージが浮かびます。

4 コア・ステート〜内なる源泉に到達する

4-a 「あなたが望み通りに宇宙の中に微笑んでただあるなら、そのことを通して、あなたが欲しいと思うもっと重要なことは何ですか?」

「もはや軽さも重さもなく、脱力も力みもなく、不動のバランスと心地よさ」=コア・ステート

5 コア・ステートを維持して達成目標の連鎖を逆戻りする
5-a 「不動のバランスと心地よさがすでに自分の在り方であるなら、物事はどのように変わりますか?」

「自分も光、物事もまた光という感覚を感じます」

5-b 「不動のバランスと心地よさがすでに自分の在り方であるなら、ただあることはどのように変わりますか?」

「あることが全体に広がり、結びつけられ、浸透するイメージです」

5-c 「不動のバランスと心地よさがすでに自分の在り方であるなら、空を羽ばたくような自由はどのように変わりますか?」

「すべてが自由であることという感覚です」

5-d 「不動のバランスと心地よさがすでに自分の在り方であるなら、満ち足りることはどのように変わりますか?」

「すべてが一瞬ごとに溢れているイメージ、プレローマです」

5-e 「不動のバランスと心地よさがすでに自分の在り方であるなら、完全さはどのように変わりますか?」

「もうすでに完全」

元の状況を変える

5-f 「不動のバランスと心地よさがすでに自分の在り方であるなら、何もかも虚しいという感じはどのように変わりますか?」

「強く光り輝く虚しさ。光は闇によって知られる、虚しさを自分の仲間として抱きしめるような、そんな思いが出てきます」


コア・トランスフォーメーションエクササイズは、宗教が信仰によって目指しているところを、信仰なしに到達するものだと書いてありましたが、まさにそうだと思いました。
コア・ステートを信じるのではなく、体験することがこのエクササイズでできるという感じなのです。

催眠の現象学94 健全な疑い

健全な疑いというのは、必要だと思います。

 

なぜなら、疑いがあることで、ひとつの物語から別の物語へ、ひとつの価値観からもうひとつの価値観へと、チャンネルを切り替えることができるからです。


ところが、信仰というのは、ある場合、この健全な疑いというのを封殺したところに成り立ってしまうのです。

 

そうすると、ひとつの物語に、絶対的なある価値観に閉じ込められてしまい、そこからしか物事を見れなくなってしまうからです。

 

「真実はいつもひとつ」とはコナン君のセリフですが、私たちはひとつである真実を、特定の物語、価値観を通してしか見ることができないのです。

そうして、特定の物語と価値観を信仰してしまえば、容易に、そこから見たものを唯一絶対の真実にしてしまい、

他の人が見ている真実を排除しようと争い合います。

 

もちろん、真実を見るためにつくられた物語や価値観には、それなりの意味があって、そこには真実の煌めき、断片があるのでしょう。

しかし、信じ込んでしまうことは、その真実の煌めきの貴重な断片を取り出すことではなく、むしろ、そこに付着する屑を含めて丸々飲み込むことによって、その真実や煌めきさえも葬り去ってしまうことになりがちです。

健全な疑いこそが、煌めくものとそうでないものを見分けて真実の断片を取り出し、また、疑いによってチャンネルを切り替えることで、さらなる断片を取り出すことができるのではないでしょうか?

黎明〜鬱からの回復 70 光の方へ

瞑想で、ある程度眠れるようになって、昼夜逆転はなくなったが、それでも、スムーズな睡眠というのは難しかった。

まず、なかなか寝付けない。

そうして思いついたのが、催眠スクリプトを聴くことだった。

O先生は、無料のブログとは別に、サブスクで動画が見れる。

そこに、10本程度の催眠スクリプトを公開していた。

また、O先生のお師匠さんにあたるY先生はもう亡くなっていたが、YouTubeでY先生が残された催眠スクリプトを朗読しているサイトを見つけた。

寝る時に、耳が痛くならないイヤフォンをつけて、これらの催眠スクリプトを聴いて眠る。

いつの間にか、トランス状態に入ってしまうのか、知らないうちに眠っている。

これで何とか、入眠困難は克服できたように思った。

さらに、中途覚醒や早期覚醒も起こるのだが、そうすると、また、催眠スクリプトを聞き出して眠る。

O先生によれば、催眠スクリプトは1回聴けばいいということだったが、私は睡眠のために聴いているので、ひとつのスクリプトを100回以上聞いたと思う。
ただ、同じスクリプトを連続して聴いていると、慣れてしまうのかだんだんトランスに入りにくくなってくる。だから、毎日、日替わりで順繰りに聴いていく。

けれど、そうやって順繰りに聴くにせよ、全体に慣れが生じて、どうしようかと思うようになった。
それで、手をつけていなかった呪文や遺伝子コードも唱えるようになった。
どちらも、ある意味、短縮された催眠スクリプトなのかもしれないと思った。

最初は、睡眠のための遺伝子コードを口に出して唱え、慣れてくると、心の中で唱える。

寝付けない時、途中で起きた時、朝早く起きてしまった時、そうやって睡眠を確保する。

そのうち、睡眠だけではなく、人とのしがらみを断つ遺伝子コードや、『大水の轟』という呪文も唱えるようになった。
『大水の轟』というのは、ドーパミンの乱高下を抑えて、感覚過敏や妄想から解放する呪文らしい。
これを唱えていると、気持ち悪くなってくるが、どうやらこれは一種の好転反応らしい。
私は、1ヶ月あまりずっと唱え続けたが、よくそんなに根気があったと思う。
ただ、暗いトンネルを、微かにぼうっと見える光の方へ、光の方へと、一歩でも半歩でも足を進めたいという、そんな気持ちでいたらしい。
そうして、1ヶ月あまりの期間が終わった時、確かに、今までよりも、自分の心と体の中から何かが排出されたようなそんな感じがあった。

 

黎明〜鬱からの回復 69 不思議なこと

心と対話するようになって、不思議なことが起きるようになった。

ある日、私は、久々に遠くまで出かける予定だったが、急に足首が激烈に痛くなった。

『もしかして、これは痛風かも』

以前、働いていた時に、痛風を患ったことがあったので、そうではないかと咄嗟に思った。

とにかく、トイレに行こうと立つのもしんどい。

こんな状態で出かけるのは、到底、無理なように思われた。

それでも、一応、心に聞いてみた。

「心よ、こんな状態で出かけられるの?」

「全然、大丈夫だよ」

「心よ、全然、大丈夫って、無理していかなくちゃいけないってこと?」

私はキリスト教時代、神様の声を聞くということがあった。

そうして、神様の声には必ず従わなければならない。従えば、恵みがあるが、従わなければ、罰がある。

それで、心も何となく神様のように捉えている節があった。

「いや、そういうことではなくて、行っても行かなくても自由だよ。でも、途中で良くなるから」

心は、何だか、おもしろそうに軽い感じでそう言う。

明らかに、心は神様とは違うのだ。

「心よ、ところで、あなたは誰なの?」

私は、まだビクビクしていた。それでも、心は神様ではないかと恐れていたのだ。

「私は、もうひとりのあなた、あなた以上のあなただよ」

何だか、ものすごくホッとする。

絶対従わなくちゃならないことはないんだと知って、私はかえって心の声の言う通りやってみようと思った。

立ち上がると、右足首はズキンと痛んだ。

それでも、歩いて、玄関で靴に履き替え、外に出た。

外に出ると、日差しは明るく、ズキンズキンという痛みは感じても、明るい陽と頬を撫でる微風に我を忘れる。

駅に着いて、ターミナルステーションまで電車に乗り、そこで予約してあったロマンスカーに乗り換える。

途中で買ったお茶を白いビニール袋から取り出し、一息ついた。

すると…

あれっ、あるはずのものがない。

あるはずの痛みがないのだ。

私は狐につままれたような気持ちになった。

「心よ、痛みがないんだけど」

「そう、そういうことだよ」

心がイタズラっぽく微笑みながら、親指を立てているイメージが浮かぶ。

ほんと、心って何だかお茶目なやつだな。

「心よ、あの痛みは何だったの?」

「ああ、あれね。あれは、支配者からの邪魔だよ」

「心よ、支配者からの邪魔で身体が痛くなったりするものなの?」

ふと気づいたのだが、心と話していると私の口調も何だか軽いものに変わっているようだ。

「そう、支配者はそれが自分のものだと思わせることで支配するからね」

ふーん、そんなものなのかな。

黎明〜鬱からの回復 68 心からの答え

随分と、思い詰めていたのかもしれない。

私は、夢の中でも、『心よ、母親からの支配と邪魔を排除してください』と繰り返していた。

そうして、やはり、何の返事もないかと諦めた次の瞬間、場面が変わった。

母親は仰向けに寝ている自分の上にのしかかって、鬼のような形相で、私の首を絞めている。

夢の中で、私は思った。

『これは現実なのか、夢なのか…?』

呼吸ができなくなって、意識が薄らいでいく。

もうだめかと思われるその時、声が響いた。

「排除した!」

そうして、私は汗まみれになりながら、天井を見つめている自分に気がついた。

先ほどまでの恐怖はまだ、首に感じている。

けれども、それをはるかに上回る安堵感。

そして、何だか、自分が自由になって頭がクリアになった感覚。

してみると、私は母親の支配と邪魔から解放されたのかもしれない。

あれほど、手で触れるほどはっきり実感できた鬱感も全くない。

それから、半日ほどは、私はもう鬱など完全に治ったように感じていた。

久しぶりの幸福感が心と体に駆け巡り、誰かに、自分の鬱はもう治ったんだと言って回りたい気分だった。
けれども、夕方になるにつれ、また、馴染みの客のように、鬱は私にやってきた。

どうして…?

私は、けれど以前と違って、自然と心に聞いていた。
「心よ、どうして鬱はまた戻ってきたの?」
「まだ、支配と邪魔は残っているから」
「心よ、残っているって、もう排除したけど」
「繰り返し、支配と邪魔は排除する必要がある」
「心よ、繰り返しってどれぐらい?」
「毎日、朝起きたら」
「心よ、どれぐらいの間?」
「生きている限り」

ショックを受けた。一生の間、この支配と邪魔の排除をしなければならないなんて。

なんか騙された気がして、心が折れそうになった。

それでも、あの感覚が忘れられなくて、私は次の朝起きるとすぐに支配と邪魔の排除を始めた。

そうして、母親の支配と邪魔の排除を終えたが、心はまだ終わりではないと言う。

「心よ、他に支配と邪魔の排除をする必要があるの?」

「ある」

「心よ、誰からの支配と邪魔の排除?」

キリスト教からの支配と邪魔の排除」

「心よ、人からではなくて教えからの支配と邪魔の排除が必要なの?」

「そう必要」

「心よ、どうして?」

キリスト教も人が作ったものだから、教えを通して支配者が人を支配する」

そう言われたところで、すんなりとは理解できなかった。

それに自分はもうキリスト教を卒業したつもりでいた。

それなのになぜ?

黎明〜鬱からの回復 67 支配されちゃう人たち

それから、私はその著者の本を次から次へと読んだ。

Amazonのおすすめに出てくるものに従って読んだが、最初、呪文とか遺伝子コードについて書いてあるものは読んでも頭に入らず、著者の言っている通り、唱えてみても何かが変わっている実感が持てなかった。

そうして、また出会ったのが、『支配されちゃう人たち』だった。

この本は、私にとって衝撃だった。

まず、この世に、支配者、虚無、光の人という3タイプの人がいるということ。

私は、この時点でもなお、キリスト教の影響を色濃く受けていたから、そんな3タイプの人がいるなんて思いもよらなかった。

ただ、1種類の人がいるだけで、どんな人も究極的には善を求めており、話し合えばわかると思い込んでいた。

ところが、3種類の人がいて、それぞれは役割も、働きも、何を幸せと感じるかも全く違う。

読んでいて信じられないという気持ちがもたげてきたが、この著者もキリスト教の背景があるということ、そして、『催眠ガール』のスクリプトで感じたものが、本を閉じることを思いとどまらせた。

そうして、何よりも、支配者というタイプ!

自分がいろいろと苦しんできたのは自分のせいであり、自分がおかしいからだとずっと自分を追い込んできたが、もしかしたら、支配者のせいなのかもしれないと思い当たった。

支配者という言葉を聞いて、頭の中には、何人かの顔が明滅した。

さらに読み進めると、『心に聞くこと』という項目があった。

心に聞くためには、まず、心に支配と邪魔の排除をお願いすることが必要だという。

心に聞く?
抵抗感が自分の中に浮かび上がるのを感じた。

聖書には、『人の心は陰険で、それは何よりも直らない』とある。

そんな心に聞くなんて、意味があるのか?

余計、苦しみの中に絡め取られていくだけではないのか?

そう思ったが、同時に、『もしかしたら、こういう思いこそが支配者というものに入れられている思いかもしれない』ということが閃いた。

さあ、どうする…

やってみないとわからない。一歩を踏み出すしかない。

以前よりは片付いたが、それでも乱雑な部屋の中で、私はひとりつぶやいた。

「心よ、支配と邪魔はありますか?」

何も聞こえない。何だか、自分がひどく馬鹿馬鹿しいことをしている気がする。

それでも…

「心よ、支配と邪魔はありますか?」

私はこの言葉を繰り返した。

「ある」

細く小さな声が、自分の内奥から聞こえる気がした。

「心よ、支配と邪魔をしているのは誰ですか?」

すると、次の瞬間、母親の顔が浮かんだ。

「心よ、母親からの支配と邪魔を排除してください。

心よ、支配と邪魔を排除したら教えてください」

何の返事もなかった。

私はひどく落胆して、ずっと干したことのない湿った布団で、その夜も眠った。