心と対話するようになって、不思議なことが起きるようになった。
ある日、私は、久々に遠くまで出かける予定だったが、急に足首が激烈に痛くなった。
『もしかして、これは痛風かも』
以前、働いていた時に、痛風を患ったことがあったので、そうではないかと咄嗟に思った。
とにかく、トイレに行こうと立つのもしんどい。
こんな状態で出かけるのは、到底、無理なように思われた。
それでも、一応、心に聞いてみた。
「心よ、こんな状態で出かけられるの?」
「全然、大丈夫だよ」
「心よ、全然、大丈夫って、無理していかなくちゃいけないってこと?」
私はキリスト教時代、神様の声を聞くということがあった。
そうして、神様の声には必ず従わなければならない。従えば、恵みがあるが、従わなければ、罰がある。
それで、心も何となく神様のように捉えている節があった。
「いや、そういうことではなくて、行っても行かなくても自由だよ。でも、途中で良くなるから」
心は、何だか、おもしろそうに軽い感じでそう言う。
明らかに、心は神様とは違うのだ。
「心よ、ところで、あなたは誰なの?」
私は、まだビクビクしていた。それでも、心は神様ではないかと恐れていたのだ。
「私は、もうひとりのあなた、あなた以上のあなただよ」
何だか、ものすごくホッとする。
…
絶対従わなくちゃならないことはないんだと知って、私はかえって心の声の言う通りやってみようと思った。
立ち上がると、右足首はズキンと痛んだ。
それでも、歩いて、玄関で靴に履き替え、外に出た。
外に出ると、日差しは明るく、ズキンズキンという痛みは感じても、明るい陽と頬を撫でる微風に我を忘れる。
駅に着いて、ターミナルステーションまで電車に乗り、そこで予約してあったロマンスカーに乗り換える。
途中で買ったお茶を白いビニール袋から取り出し、一息ついた。
すると…
あれっ、あるはずのものがない。
あるはずの痛みがないのだ。
私は狐につままれたような気持ちになった。
「心よ、痛みがないんだけど」
「そう、そういうことだよ」
心がイタズラっぽく微笑みながら、親指を立てているイメージが浮かぶ。
ほんと、心って何だかお茶目なやつだな。
「心よ、あの痛みは何だったの?」
「ああ、あれね。あれは、支配者からの邪魔だよ」
「心よ、支配者からの邪魔で身体が痛くなったりするものなの?」
ふと気づいたのだが、心と話していると私の口調も何だか軽いものに変わっているようだ。
「そう、支配者はそれが自分のものだと思わせることで支配するからね」
ふーん、そんなものなのかな。