随分と、思い詰めていたのかもしれない。
私は、夢の中でも、『心よ、母親からの支配と邪魔を排除してください』と繰り返していた。
そうして、やはり、何の返事もないかと諦めた次の瞬間、場面が変わった。
母親は仰向けに寝ている自分の上にのしかかって、鬼のような形相で、私の首を絞めている。
夢の中で、私は思った。
『これは現実なのか、夢なのか…?』
呼吸ができなくなって、意識が薄らいでいく。
もうだめかと思われるその時、声が響いた。
「排除した!」
そうして、私は汗まみれになりながら、天井を見つめている自分に気がついた。
先ほどまでの恐怖はまだ、首に感じている。
けれども、それをはるかに上回る安堵感。
そして、何だか、自分が自由になって頭がクリアになった感覚。
してみると、私は母親の支配と邪魔から解放されたのかもしれない。
あれほど、手で触れるほどはっきり実感できた鬱感も全くない。
…
それから、半日ほどは、私はもう鬱など完全に治ったように感じていた。
久しぶりの幸福感が心と体に駆け巡り、誰かに、自分の鬱はもう治ったんだと言って回りたい気分だった。
けれども、夕方になるにつれ、また、馴染みの客のように、鬱は私にやってきた。
どうして…?
私は、けれど以前と違って、自然と心に聞いていた。
「心よ、どうして鬱はまた戻ってきたの?」
「まだ、支配と邪魔は残っているから」
「心よ、残っているって、もう排除したけど」
「繰り返し、支配と邪魔は排除する必要がある」
「心よ、繰り返しってどれぐらい?」
「毎日、朝起きたら」
「心よ、どれぐらいの間?」
「生きている限り」
…
ショックを受けた。一生の間、この支配と邪魔の排除をしなければならないなんて。
なんか騙された気がして、心が折れそうになった。
それでも、あの感覚が忘れられなくて、私は次の朝起きるとすぐに支配と邪魔の排除を始めた。
そうして、母親の支配と邪魔の排除を終えたが、心はまだ終わりではないと言う。
「心よ、他に支配と邪魔の排除をする必要があるの?」
「ある」
「心よ、誰からの支配と邪魔の排除?」
「キリスト教からの支配と邪魔の排除」
「心よ、人からではなくて教えからの支配と邪魔の排除が必要なの?」
「そう必要」
「心よ、どうして?」
「キリスト教も人が作ったものだから、教えを通して支配者が人を支配する」
そう言われたところで、すんなりとは理解できなかった。
それに自分はもうキリスト教を卒業したつもりでいた。
それなのになぜ?