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大学の図書館の地下にある書庫室で、一般には貸し出されていない本が並んでいた。ひっそりとして、微かに聞こえる空調の音以外は何もしなかった。古い本独特の少しカビ臭い匂いが充満していた。
そこだけが新しい木製の検索カードをめくった。心の中で『デニフレ、デニフレ』と知らず知らずつぶやいていた。指に感じる白い検索カードの手触り、高速でめくっていくと手がぴたりと止まった。
探している本の名前がそのカードには記されていた。「ああ、やっと見つけた」と思わす声がこぼれた。メモ帳にいそいそと本の情報を書き付けると、心臓の鼓動を感じながら目指す棚に向かった。
いちばん奥のひっそりした棚のさらに目立たない、下段の右隅にその本はあった。手にとってめくってみると、ばさばさと紙が音をたてた。貸出カードを指で摘んでみると、誰にも借りられたことのない本だった。
骨董品のような古色騒然とした表紙と捲られたことのないページ。その対比になぜか心がカチリと鍵が外れるような音がして、震えているのを感じた。
いつの間にか、時間を忘れていたようだ。書庫室にかけている時計を見上げると、秒針の刻む音がやたらはっきり耳を打つ。本を棚に戻し、階段を踏み締めるように昇っていく。
図書館の外に出て空を見上げると海のようだった。「いらっしゃい」と急に声をかけられてたじろぐ。同じゼミの哲学科の先輩が、急遽こしらえた1人だけの蚤の市を図書館の前でやっているのだった。現実世界に戻された気がしたが、これもまた夢の中の夢なのかもしれない。