「あなたは人を救いたいんですか?」
そう聞かれてどきりとした。
簡単にYESともNOとも言えない気がした。
私もヒーローになりたかった。ヒーローになって多くの人を救いたかった。
小さな頃のヒーローとは、ウルトラセブンのような正義のヒーローのことだったが、中学生、高校生となるにつれて、ヒーローとは、キリストのような人の心を癒すヒーラーのことになっていったのかもしれない。
だから、傷ついた人を見ると放っておけない。
その人の傷を自分の傷のように感じてしまう。
さらには、その人の傷を自分の心にうつして癒そうとする。
そうやって、私の心は人の傷でいっぱいになって瀕死の状態になる。
もう耐えられなくなって、その人から逃げ出そうとする。
すると、相手は鬼のようになって、「火をつけた責任、最後まで」と言って私を追い回す。
そんなことの繰り返しだった。
けれど、違うストーリーの中で見てみると、
私は、むしろ、自分の心の傷を人の中に投影して、人の中にいる自分を救おうとしていただけなのだろう。
そして、人の中にいる自分は救えないから、人の中に自分がいるはずがないから、その錯誤の中で摩耗していっただけなのかもしれない。
ヒーローに、そしてヒーラーになりたかったのは、それだけ自分を救いたかっただけなのだろう。
そして、自分が誰かを救ったら、誰かもまた自分を救ってくれると信じていたのだろう。
だが、自分は自分が救うしかないのだ。自分を活かす力とリソースは、人の中にあるのではなく、自分の中に埋もれている。
私は、私の中にあるその力とリソースを、ダイヤモンドの鉱脈を見つける鉱夫のように発見し続けて、自分を救う、いやむしろ、自分を発見し続ける。
そして、私は、自分を救う、いや自分を発見し続けることによってのみ、人がその人自身を救う、いやその人自身を発見し続けるきっかけを与えることができるのである。