愛は信じない。
愛は宗教ではないから。
けれど、この世界には、愛という宗教に満ちている。
「愛こそすべて」「愛が地球を救う」「愛があれば何もいらない」…
愛を信じたがっている人が溢れているのかもしれない。
そうして、愛を信仰し、究極の愛が自分を救ってくれる日を待ち望んでいるのかもしれない。
何を隠そう、私もこの愛という宗教を信じていた。
この世界か、この世界を超えたどこかに、全能の愛があって、もう生きる力もなく、自分の人生を生きることができない私の代わりに、私の人生を生きてくれるものだと思っていた。
しかし、そう思えば思うほど、私は依存的になり、ますます弱くなっていった。私は、自分の人生などゴミために過ぎないのではないかと思うようになった。
…
愛は意識ではない、無意識にあるものだ。
愛は、つかむものではなく、不意に向こうから訪れるもの。
愛は、その時、その場、その私に起こるサプライズプレゼントであって、自分でどうにかできるものではない。
愛を信じるなら、愛を信仰するなら、しがみつくものになって、ただの執着に変わる。
例えば、イエスは無意識からの愛をこの世界に現したが、弟子たちは、その愛を冷凍保存して、愛の宗教をつくった。
けれど、冷凍保存された愛はすでに死んでいる、愛の死骸があるばかりで、愛という名の執着と支配があるばかり。
本当の愛は、なまもので、海を飛び跳ねるイルカのようにピンピンと生きているのだ。