無意識さんとともに

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聖人A 2 祈祷会

もう、赤ちゃんの頃から、教会には週に2回は通っていた。

水曜日に祈祷会(お祈りのための集まり)があり、日曜日には、礼拝の前に子供のための日曜学校があり、その後、礼拝がある。

祈祷会は、ほぼ大人しかいないのだが、母は僕と妹を連れて行った。

大人がみんな、わけのわからないことを祈っている。

おじいさんが、「主よ、汝の御心を我にいつも示したまえ。そして、このしもべが汝の御心に従順に生きることを得させたまえ」とか言っているのを聞くと、これが日本語かどうかなのさえ、幼い僕にはわからなかった。

僕と妹も祈るように言われるのだが、家でのお祈りと比べても大した言葉は出てこない。

「みんな仲良くできますように」と僕が言い、「公園にいた捨て猫がお腹を空かせませんように」と妹が言うのが精いっぱいだ。

僕と妹は自分のお祈りを終えてしまうと、教会堂の後にあるプレハブの建物に行って、そこにあるおもちゃで遊んで、母を待つ。

みんなの家で使い古したおもちゃが置いてあったが、貧しい僕たちの家にはおもちゃらしいおもちゃはなかったから、それで遊ぶのは楽しかった。

僕がブロックで家を作り、妹がお人形でおままごとを始める。

妹のおままごとの会話では、父と母がいて、僕と妹がいる。妹は僕よりもっと父のことを覚えているはずはないのだが。

「ただいま、帰ったよ」

「あなた、お帰りなさい。今日もご苦労様。ご飯ができているわよ」

「ありがとう」

「お父さん、お帰りなさい」

「さあ、みんなでご飯にしよう」

そんな会話を妹がしているのだが、僕の記憶の限り、そんな幸せな会話をしたことがない。

僕も妹の独り言を聞きながら、ブロックで家を作り上げる。

何だか、このおもちゃの家は、小さな頃、住んでいたあのピカピカの家に似ている気がする。

そんなことを考えているうちに祈祷会は終わって、僕たちふたりも教会堂に戻される。

祈祷会の後、お茶とお菓子が出て、それがとても楽しみだった。

みんなに「好きなだけ召し上がれ」と言われるのだが、母にあらかじめ注意されている僕たちは、チョコパイを一つだけいただいて、あとは遠慮する。

飯塚さんというおばさんに、「まだ、子供なんだから、もう少しどうぞ」と言われて、妹だけ、紅葉のような手を出して、もう一個チョコパイを手に取る。

「すみません。家に帰ってから食べるのよ。真理、お礼を言いなさい」

「おばちゃん、ありがとう」

僕はもうひとつチョコパイが食べたいわけではなかったが、何だか妹が羨ましくてたまらなかった。