ぼくは耳を疑った。
はまっちは何て言ったのだろう?
確か、付き合ってくださいと。
はまっちは念を押すように、もう一度言った。
「うえっち、わたしと付き合ってください」
もちろん、YESに決まっている。はまっちはぼくの理想の女の子だ。でも、どうして、今?
ぼくだってはまっちと付き合うことを想像したことがないわけじゃない。むしろ、頭の中で何百回もはまっちと付き合うことを夢見てきた。
でも、あのはまっちの手紙に書いてあった通り、それは4年後だと思っていた。
それなのに、なぜ、今?
それだけじゃない。今、ぼくがはまっちと付き合ったら、佐伯さんはどう感じるだろう?
佐伯さんの怒っているような、ほとんど泣き出しそうな表情が思い浮かんだ。
「うえっちが好きです…」
はまっちはこれでとどめで刺すかのように、続けて言葉の火矢を放った。
わかった、はまっち。ぼくには他に選択肢はない。
ぼくははまっちにYESの返事をした。何が待っていようと、先に進むしかないんだ。
そう思いながら、何かとんでもないことをしたような、取り返しのつかないことをしたかのような気がする。
塾に向かう時、左を歩いているぼくの右手をはまっちは握った。手はあたたかだった。ぼくはその手の中に永遠に安らいでしまいたい気に襲われた。
けれど、教室に着くと、佐伯さんがいないかと思って、ぼくは手を振り解いた。
はまっちと席に着くと、はまっちの顔は涙で濡れていた。
気づいてあげられなかったことに痛みを覚えて、ぼくはハンカチを差し出した。
そうして、ぼくは周囲を見渡した。
『佐伯さんは、やはり来ていない。どうしたんだろう?』
こんなことは思うべきではない、今ははまっちのことだけ考えるんだとそう思っても無駄な試みだった。
隣にいるはまっちは幸せそうに見えた。そのことがまた、ぼくの心を引き裂いた。
『ぼくは何て悪いやつなんだろう?』
ぼくは自分を責めるしかすべがなかった。
授業が終わって、はまっちと別れを告げ、はまっちが藤堂さんや福井君と車に乗るのを見届けてから、ぼくは塾を出た。
そして、自分の家の方向とは反対に、学校の方向に走り出していた。
気がつくと、古びたブロック塀で囲まれたあの平屋の前に来ていた。
ぼくは何度もためらったが、ついにチャイムを押した。
引き戸が引きずるような音を立てて、人が現れた。
そこに現れたのは、佐伯さんだった。
「やあ」
「なんで、なんで来たの?」
佐伯さんは、この前の怒気を含んだ声ではなく、力ない声で言った。
「塾にも姿を見せないから」
…