「あの赤いランプのところには、ホスチリウムが置いてあるのです」
「ホスチリウム、何でしょうか?」
「キリストの体に変化したホスチアを入れておく場所です」
「ホスチアっというのは?」
「薄いウエハースみたいなものです、ほら、プロテスタントでいう聖餐のパンです」
「誰でもそのホスチアを頂くことはできるのですか?」
「どうだろう?カトリックにならないと無理だと…」
「そうなんですか」
僕は何だかとてもがっかりした。
「ところで、何でそんなにホスチアにこだわるの?」
僕は、赤いランプのところから力を感じて、その力に圧倒されたことを話した。
大橋さんは、僕の話を聞いて、半分驚き、半分呆れたように言った。
「私はずっとカトリックで、ホスチアをずっとミサで受けているけどそんな力、感じたことないなあ」
この話をこれ以上するのは無理そうだった。大橋さんは、僕が帰った後のトロントで起きたことや帰国後に仕入れた情報を熱心に語った。
冷たくなったミルクティーをぐいっと飲み干して、大橋さんと別れた後、僕はもう一回、I教会の御堂に行ってみた。
『間違いない、やっぱり、赤ランプのところから力を感じる』
僕は、神様に呼びかける以外の祈りを知らなかったので、ただ、赤ランプのところを凝視していた。
すると、何だか、またとても眠くなってしまった。
気がつくと、僕の目線より上、そして3メートルぐらい離れたところに、イエスがいた。
僕の心臓とイエスの心臓は、太い2本の血管で繋がれ、血液が行ったり来たりしていた。
僕は、誰に起こされるでもなく、はっと目が覚めた。
今のは、幻覚だったのだろうか?
トロントで、「あなたのハートは彼のハート」と言われたことはこのことだったのだろうか?
それとも、僕は狂信的になって完全におかしくなっているのだろうか?
僕は、最後の考えはありえないとして、急いで振り払った。
そして、とにかく、力がそこから出ているあのホスチアを自分も受けたいという思いに駆られた。
そのためには、カトリックにならなければならないが、そんなことは小さなことだ。
僕は、いよいよ、聖人の道に召されているのかもしれない、そんな気がしてならなかった。
帰りの電車の中、前に中年の男性が座っている。
何気なく、そちらの方を見ると、僕の中にいろいろなイメージが飛び込んできた。
自分の経験ではない、知らない中年の男性の人生の場面のいろいろなイメージ、それらが僕の中に吸い込まれていき、僕は彼の苦しみをスポンジのように吸収していく。
僕の顔から汗が流れ落ちる。
青ざめているのが自分でもわかる。
『聖人になるのは、こういうみんなの巨大なゴミ箱になることなんだよ。それでも構わないのか?』
そんな声がする。
一瞬、綺麗さっぱり拭われたはずの松沢さんの顔が点滅する。
けれど、僕はその声に答える。
『構いません、僕をイエスと共に十字架につけてください』
なんと、人間性に背く祈りを僕はしたものだろうか?