「そういうわけで、水泳が上手くなりたいなら、指導を受けつつも、とにかくできるだけ水の中に入って泳ぐことが大切なように、楽になりたいなら、同じように、指導を受けつつも、無意識さん漬けになることが必要なんです」
「無意識さん漬け、何ですか、それは。ちょっと極端な気がするのですが」
「ミルトン・エリクソンは、ポリオにかかって身体が不自由だったのですが、人生の数々の試練を、自己催眠によってトランスに入ることによって乗り越えてきたと言われています」
「なるほど、催眠でトランスに入ることはそれだけの力があると」
「また、エリクソンの弟子のオハンロンという人は、自分はトランス中毒だと言っています」
「そりゃ、なんか、イメージが悪い言葉ですね」
「そうかもしれません。〇〇中毒というのは、アルコール中毒だとか、麻薬中毒だとか、そんなことを連想させますからね。それで、私は無意識さん漬けと言っているんです」
「無意識さん漬けという言葉にしても、何だか、自分の人生から責任を捨てて夢見る世界に逃げているような、そんな気がするけどなあ」
「そうですか、事実は逆なんですけどね」
「ええっ、逆ってどういうことですか?」
「私たちは、強固に、この意識の自分がリアルな自分だと信じ込んでいて、無意識の自分というのは、夢か幽霊かそんなものだと考えている」
「そう言われてみれば、そういう気がします」
「それで、時々、催眠でトランスに入って、そんな夢の自分にご対面するのはいいけれど、始終そうするのは何だか悪いことをしているような気がする」
「確かにそうです」
「でも、実は逆なんです。意識の自分はどこから生まれてきたんでしょうか?」
「そんなこと考えたことがないですけど…えっと、無意識からということになるんでしょうか?」
「そうですね、もちろん、意識と無意識、意識の自分と無意識の自分に上下、優劣はないけれど、意識の自分は無意識の自分から生まれてきたということはできますね」
「そうなんだ、初耳です」
「だからと言って、何度も言っているように、意識の自分を捨ててしまって無意識の自分になればそれで万事OKということではないけれど、それにしても、意識の自分が無意識の自分を押し除けてのさばりすぎている」
「なるほど」
「バランスが悪いんです。それで、無意識さん漬けぐらいにしてバランスを回復するということが必要になるんです。それだけじゃなくて…」
「それだけじゃなくて?」
「意識の自分と無意識の自分がトランスの中で出会って(エンカウンター)、統合されていくことが必要なんです」