それから、僕が催眠をはまっちにかける番だったが、なんだか脱力してしまって無理そうだった。
「うえっちが私にかけるのは、また今度でいいわ」
「ごめんね」
「ううん。それより、何だかとても眠そうだから、ちょっと眠るといいんじゃない?」
僕は、ちょっと戸惑ったが、この眠気には勝てなかった。
「ブランケットと枕を持ってきたわ」
青いブランケットと、ピンクのカバーの枕だった。『もしかして、このブランケットと枕ってはまっちのもの?』と尋ねたかったが、ためらわれた。
僕は、おとなしく、畳の上に横になり、頭を枕に載せて、ブランケットを身体にかけた。
はまっちの匂いに包み込まれるようだった。
最初、それは心にさざなみを立てるようだったが、そのうちに僕は何だか、そこに安らいで行って、意識が消えた。
夢のない眠りを眠って、自然と目が覚めた。
台所から、トントンと包丁で何かを切る音と、美味しそうな匂いがただよってくる。
起き上がって、丁寧にブランケットをたたみ、その上に枕を置いた。
そうして、眠い目を擦っていると、ガラガラとはまっちが入ってきた。
「起きたのね。よく眠れた?」
「とてもよく眠れたよ、ありがとう」
「もうすぐ、できるから、後ちょっと待っていてね」
「ところで、この枕とブランケットってはまっちの?」
「うん、そうだけど。どうしてわかったの?」
「だって、はまっちの匂いがしたから」
僕は言わずにしておこうと思ったことを、つい、口に出してしまった。
「おまわりさん、ここにヤバい人がいますよ〜、アハハ」
はまっちは、さもうれしそうに笑う。
はまっちはキッチンに戻って、また、料理に取り掛かった。
僕は、近くのカラーボックスの本を物色し始めた。
料理の本に紛れて、僕も読んでいる「ミルトン・エリクソンの催眠療法」の本もあった。引き出してみると、たくさんの色とりどりのポストイットが貼られている。
僕は、ペラペラめくって、はまっちがポストイットを貼っているところを読んでみる。
「参加者:自分がトランスに入れば、相手をトランスに入れることは簡単なものだと感じました。
…トランスに入っていると、催眠の誘導文句が簡単に浮かんでくるものなのです」
藤堂先生が言っていた『他者催眠は自己催眠であり、自己催眠は他者催眠』という言葉を思い出す。
僕は、その真っ白な表紙の本を料理の本の間にしまいこみ、今度は、薄青の文庫本を引っ張り出した。
あまりに懐かしい本。僕とはまっちの始まりの本。
めくっていると、色々な感情が僕の中に去来する。
それに浸っていると、はまっちが入ってきた。
「はい、これが今日のお品書き」
ケント紙のような紙に、サインペンで書かれたものを、そっと僕の前に置いた。