「さてと…」
はまっちは、僕の真向かいに座っている。日曜日の早い時間だからか、何の音もしない。
「うん?」
「お昼までは、まだ時間があるわね」
「そうだね」
「じゃあ、催眠の練習でもしましょうか?」
「催眠?」
僕は自分でもびっくりするぐらい素っ頓狂な声をあげた。
「そんなに驚くこともないじゃない」
「まあ、そうかも」
クリスマスの時に、交互に催眠の練習をしようと思ったのに、結局は藤堂さんが僕とはまっちにするだけで終わってしまったから。
「どっちが先にクライアント役やる?…そうね、うえっちの誕生日だからうえっちが先かな」
はまっちは僕が口を挟む暇もなく、自問自答してクライアントは僕になった。
「その前に、飲み物くれるかな?何だか、喉が渇いて」
僕の喉の渇きは限界だった。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。…まあ、こんな可愛い子と一緒にいたら、緊張しない方が無理な話かも、アハハ」
何がそんなにおかしいのか、はまっちは愉快そうに笑う。
「ちょっと、待ってて」
はまっちは立ち上がって、キッチンと部屋の間のドアを閉めて出て行った。
しばらくして、磁器の茶碗を2つ持って戻って来た。
藍色と深緑の釉薬がかけられた渋い湯呑み、その中には緑色の温かな液体がなみなみと注がれている。
僕はお茶をずずっと啜った。渋みと甘みが口に広がり、続いて喉を潤していく。
熱すぎることもない、ちょうどいい温度のお茶。
「おいしいお茶だね、高い特別な茶葉でも使ってるの?」
「そんなことないわ、ごく普通の茶葉よ。ただ淹れ方にはコツがあるの」
「そうなんだ。こんな美味しい淹れ方だったら、秀吉にもすぐに取り立てられるね」
僕は、14歳の石田三成が秀吉にお茶を振舞ったエピソードを思い出していた。
「そりゃ、どうも。まあ、秀吉に取り立てられるのはごめんだけどね」
「そりゃ、そうか」
「そりゃ、そうよ…じゃあ、お茶飲んだら、そろそろ、始めない?」
「そうだね」
「では、始めます。ある人が言ったの、『催眠に入ると、過去の自分にあったり、未来の自分にあったりすることもできる』と」
「あなたは私が話しかける姿が見えています。
私が話しかける声が耳に聞こえています。
足が畳に触れる感触も感じることができます。
そうしていると、自分の呼吸に注目することもできるかもしれません」
はまっちが自分に語る声がとても心地よく、体に響く。
「あなたはさらに私の瞳を見ることもできるかもしれません。
自分の呼吸のかすかな音も聞くこともできます。
足のももに置いた両手の感覚も感じることができます。
そうしていると、何だか、自分の心臓の脈の音も聞こえることもあるでしょう」
はまっちの黒目がちの瞳を見つめていると、何だかそこに吸い込まれるような気がしてくる。
「あなたはまた言葉を語りだす私の口を見ることもできます。
そうして、心臓のドキンドキンという脈動を聞いているうちに、
体の重みを感じることができて、
そんなこともあるかもしれません、そうです、うえっち、瞼が重くなってくることが」
僕は、言い知れない快さを感じながら、知らない間に目を閉じていた。
どこか、遠くでさえずり合う小鳥の声が聞こえるような気がした。