無意識さんとともに

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黎明〜鬱からの回復 62 解放の朝

次の日の朝、私は明け方に眠ったばかりだったが、それでも虚ろな頭で布団から起き上がり、カーテンを引いて、朝日を浴びた。

布団の脇に置いてあるテーブルこたつにうず高く積まれたゴミが見えた。

私はゴミ袋を持ってくると、ゴミを袋に分別して入れ始めた。

「あっ」

ゴミの山が減って現れたのは、開けてもいないコンビニ弁当だった。

おそらく、1年ぐらい経っているのだろう、おかずもご飯も一面青黴で覆われているのが見てとれる。

そんなショッキングなものを目にした後でも、私は眠くてたまらない。

何せ、1時間余りしか眠っていない。

それでも、久しぶりに浴びる太陽の光は、なんだか妙に心地よい。

この部屋はほとんど陽が当たらないが、それでもわずかにさしてくる光が顔を照らしてくる。

それから、私はずっと敷きっぱなしだった布団を畳み、押し入れに入れた。

本の山が崩れてくるが、今は気にしないでおこう。

そうして着替えて、ドアを開けて、外に出た。

外の光は、部屋の中と比べものにならないほど、強く眩しく、目に痛い。
目が眩んで、何だかよく見えない。
階段を降りて、アパートを出て、まっすぐ歩き、自動販売機のところまで来ると、狭い道をそぞろ歩く中高生の群れに出くわす。
「おはようございます」
何を勘違いしているのか、彼らのうちの何人かは、私を先生とでも思ったのか挨拶してくる。
こんな、ゾンビみたいな俺に?
「おはよう」
そんなことを思ったのに、口から反射的に言葉が出てしまう。
すると、彼らは微笑む。

私は、その微笑みを見ると、いっそう、胸の中が軽くなって、彼らの中を突っ切り、通りを出て、牛丼屋に向かう。
ちょうど、隙間の時間なのか、私以外には客は誰もいない。
食券機でお金を支払い、カウンターにひとり座る。

しばらくすると、朝定食が出てきて、私は辺りを見回してから、味噌汁を啜る。
薄い味噌汁だが、それでも味噌と出汁の味と香りが舌と鼻に広がる。
味噌汁を飲むのは、1年ぶりかもしれない。
私は、ゆっくりゆっくり時間をかけて食べる。

一人しかいない男性の店員は、準備をしているのかそれなりに忙しく立ち働いている。

『さて、これからどうしようか?』
そんなことを思ってみたが、気が付いたのは全然、別のことだった。
そう言えば、私はさっき、朝食を食べる前にお祈りをしていなかったことに。
一瞬、良心の痛みを感じたが、それもほんの一瞬のことだった。
「もう、やめだ」
私は、小さな声で、しかも自分には聞こえるぐらいの確かな声で、そう呟いて、ご馳走様と言いながら、自動ドアを出て行った。

黎明〜鬱からの回復 62 解放の朝

次の日の朝、私は明け方に眠ったばかりだったが、それでも虚ろな頭で布団から起き上がり、カーテンを引いて、朝日を浴びた。

布団の脇に置いてあるテーブルこたつにうず高く積まれたゴミが見えた。

私はゴミ袋を持ってくると、ゴミを袋に分別して入れ始めた。

「あっ」

ゴミの山が減って現れたのは、開けてもいないコンビニ弁当だった。

おそらく、1年ぐらい経っているのだろう、おかずもご飯も一面青黴で覆われているのが見てとれる。

そんなショッキングなものを目にした後でも、私は眠くてたまらない。

何せ、1時間余りしか眠っていない。

それでも、久しぶりに浴びる太陽の光は、なんだか妙に心地よい。

この部屋はほとんど陽が当たらないが、それでもわずかにさしてくる光が顔を照らしてくる。

それから、私はずっと敷きっぱなしだった布団を畳み、押し入れに入れた。

本の山が崩れてくるが、今は気にしないでおこう。

そうして着替えて、ドアを開けて、外に出た。

外の光は、部屋の中と比べものにならないほど、強く眩しく、目に痛い。
目が眩んで、何だかよく見えない。
階段を降りて、アパートを出て、まっすぐ歩き、自動販売機のところまで来ると、狭い道をそぞろ歩く中高生の群れに出くわす。
「おはようございます」
何を勘違いしているのか、彼らのうちの何人かは、私を先生とでも思ったのか挨拶してくる。
こんな、ゾンビみたいな俺に?
「おはよう」
そんなことを思ったのに、口から反射的に言葉が出てしまう。
すると、彼らは微笑む。

私は、その微笑みを見ると、いっそう、胸の中が軽くなって、彼らの中を突っ切り、通りを出て、牛丼屋に向かう。
ちょうど、隙間の時間なのか、私以外には客は誰もいない。
食券機でお金を支払い、カウンターにひとり座る。

しばらくすると、朝定食が出てきて、私は辺りを見回してから、味噌汁を啜る。
薄い味噌汁だが、それでも味噌と出汁の味と香りが舌と鼻に広がる。
味噌汁を飲むのは、1年ぶりかもしれない。
私は、ゆっくりゆっくり時間をかけて食べる。

一人しかいない男性の店員は、準備をしているのかそれなりに忙しく立ち働いている。

『さて、これからどうしようか?』
そんなことを思ってみたが、気が付いたのは全然、別のことだった。
そう言えば、私はさっき、朝食を食べる前にお祈りをしていなかったことに。
一瞬、良心の痛みを感じたが、それもほんの一瞬のことだった。
「もう、やめだ」
私は、小さな声で、しかも自分には聞こえるぐらいの確かな声で、そう呟いて、ご馳走様と言いながら、自動ドアを出て行った。

催眠の現象学81 乞食をやめてふらつく足で立ち上がる

小説を書いていて、自分が癒されるきっかけとなったターニングポイントを思い出したんです。

それは、乞食であることをやめたことです。

私は、いわば、母親の乞食として育てられたのです。
「お前は何もできない、何も持っていない。哀れな乞食だ。けれど、私はそんなお前を憐れんで、お前に必要なものを与えてあげる、だから私の言うことを聞くんだよ。逆らってはいけないよ」と。

 

そうして、私は、傍目には可愛がられて育てられたように見えたのですが、自分で何かを望んだり、決めたりすることができませんでした。

そういうことを望んだり、決めたりしようとすると、それは逆らうこととみなされ、必ず失敗して挫折するものと言われ、事実、その通りになったのです。

 

私は、自分は何の力もないものとして、自分を見るようになっていったのです。

だから、私がキリスト教に入信したのは、母親よりもマシな親として、神の乞食(ルターは私たちは神の乞食であると言っています)になろうとしたわけです。

自分は罪を犯すより他に何もできない、あわれで惨めなゴミのような存在、そうして、ひたすら、外にある神の力によりすがって生きるしかない存在。

しかし、そう思えば思うほど、救われるどころか、ますます弱っていって、私はついには3度の自殺未遂をしました。

そうして、さらには、もう自殺する気力もないほどの状態に追い込まれました。

その時に、自分の中から、「違う、違う、違う、だめだ、だめだ、だめだ」というとめどもない叫びが噴出してきたように思います。

それは怒りであり、同時に、莫大なエネルギーであり、支配と嘘と呪いをビリビリに引き裂くものであったのかもしれません。

「力は外にあり、私はそれにすがるしかない」というのは、絶対的に違うのであり、

「私は母親の、また神の乞食」となっては、絶対にだめだという心の奥底からの咆哮です。

力は決して外にあるのではなく、自分の内にあるのです。
何かに依存すればするほど、自分の力はなくなり、自分のリソースは固く封印されていくのです。

そのことに気づく時、それこそが、夜と昼が入れ替わるターニングポイントなのです。

黎明〜鬱からの回復 61 大水の轟

その日も、お昼をとうに過ぎて、夕方近くまで眠っていた。

「今日の授業、面白かったね」

「〇〇先生のジョーク、つまらな過ぎて面白すぎる」

そんな会話がどこからともなく聞こえる。

いや、近くには私立大学附属の中高があり、そろそろ生徒が近くの道をぞろぞろ下校する時間だから、そんな会話を生徒たちがしてもおかしくはない。

けれど、ここから道路まではある程度、離れているし、玄関の扉も閉まっている。

そんな会話が聞こえるはずもない。

自分の過去の記憶がよみがえったのかとも思ったが、何だか違う気がする。

そうでないとしたら…

体がゾワゾワとした悪寒が走り、私は布団の周りには本が散乱している薄暗い部屋の真ん中で、震え出した。

もしかしたら、いや、もしかしなくても、私はとうとう頭がおかしくなったのかもしれない。

そんな考えが、体の奥底から込み上げてくる。

拭おうと首を左右に振るが、考えはコールタールのようにへばりついて離れない。

『このまま、完全におかしくなったらもう何もわからなくなって、楽になるのだろうか?』

一瞬、そんな思いがもたげてきたが、私は激しく首を振った。

何を思ったかわからないが、私はヨタヨタと立ち上がり、蛍光灯の灯りをつけ、あたりの本の山を探し始めた。

本が崩れるのも厭わず、手鏡を引っ張り出した。

そうして、手鏡で、自分の顔を見た。

もう長いこと、自分の顔を見ていなかった。
そのせいか、それとも違う理由なのか、自分の中の自分の顔は20代最初の頃のものだった。

けれど、そこに映っていたのは、到底、そんな自分のイメージとは全く違う顔だった。

長らく、陽にあたっていないせいか、顔は緑色のように見えて、頬はこけ、目はくぼみ、ホラー映画で見たことのあるゾンビのようだった。

「違う」

私の口から、言葉が漏れた。

「違う、違う、違う…」

一回、口にすると、大水の轟のように、言葉が溢れ、大きくなっていった。

私がそんなふうに叫んでいると、壁を叩く音が聞こえた。

隣の人は夜から仕事に出かけるから、私の声を聞いて、怒っているのだろう。

けれど、そんなこともお構いなしに、私は叫び続けた。

「違う、違う、違う、だめだ、だめだ、だめだ…」

生まれてこんな大きな声を出したことがないぐらい、私は腹の底から叫んだ。

壁を叩く音も止んだ。どうやら諦めてしまったらしい。
私は、布団の上に足を踏ん張って、天井を見上げた。
心と体は、相変わらず、何千、何万ものガラスの破片が刺さっているように、ギリギリ痛かった。
それでも、それでも、私は…

催眠の現象学80 揺るがないもの

この前、すさまじい悪夢を見ました。
そうして、起きてからもかなりの間、強烈に覚えていました。

けれども、不思議なことに、心はぴくりとも動かないのです。
恐れることもなく、まして戦うこともなく。
ただ、その夢の印象を一瞥すると、心はもう全く興味を持ってはいませんでした。
以前なら、自分はその夢の意味をぐるぐると考えたことでしょう。
例えば、これは自分の過去のどのトラウマに繋がっているのか、あるいは、どの人からの影響なのかと。

しかし、そんなこともなく、私の心は、悪夢を見ても悪夢を見ないのと全く変わらないのです。

また、この頃、人に余計な親切という名のおせっかいをしなくなってきていることに気がつきました。
けれど、頭で、おせっかいは一種の虐待だと考えて、やめようやめようとしてやめているのではありません。

そうではなく、人の人生の主人公はその人本人であり、私の人生の主人公も私本人であるからです。
そのことが、心と体の奥底からじわじわと感じられるからなのかもわかりません。

ところで、これらのことがどうして起こってきているのかと思った時、「ただ当たり前のことを当たり前にやる」ということが思い浮かぶんです。
私の1日は、ひどく単純な繰り返しです。
朝、5時半に起きて、支配と邪魔の排除をし、瞑想をし、自己催眠をし、発霊法をし、セルフレイキをし、前の日の大嶋先生のブログを読み、無意識の旅の動画を見る。
ストイックに思えるかもしれませんが、私にはこれがなくてはならない気持ちいいことなんです。
そうして、坂道で、小さな雪の玉を転がすように、雪は次第に大きくなって、ついには大きくなった雪の玉が自分で転がり始めるように、
遊歩道の脇に植えてあった若木が気がつくと緑の葉をいっぱいにつけた大きな木になっているように、
ついいは、何ものにも動じない、揺るがないものに変わっていくのです。

黎明〜鬱からの回復 60 生ける屍

それから、私の引きこもり生活は1年、続いた。

対人恐怖はだんだんとひどくなってきて、私が外出できるのは、深夜、もう人気のいない時間だけになった。

けれど、深夜、コンビニに行く時さえ、まるで光を厭う害虫のように、コンビニの光は私には眩しすぎた。

店員の顔もろくろく見ずに、私は逃げるように店を出る。

道を行き交う人は誰もいない。

時折、通る車のヘッドライトに、思わず顔を覆う。

部屋に入ると、ホッとため息をつき、引きっぱなしの布団の上で、買ってきたサンドイッチや甘い飲み物を取り出し、食べ出す。

何の味もしない。まるで、プラスチックを食べているようだ。

それでも、食べたものが血糖値を上げてくれるのを期待して、布団の上に、そのまま、横になる。

眠れない…

パソコンを取り出し、お笑いの動画を見るが、面白いとも何とも感じない。
あれほど、小さい頃から好きだった本も読めなくなっている。脳みそが死んでしまったようだ。
完全に、昼夜逆転していた。
そうやって、締め切った雨戸から朝の光が漏れてくると、ようやく、眠気がやってくる。
まるで、吸血鬼のようだ。
ようやく、眠れない、ひとりぼっちの苦しみから解き放たれる。
せめて、せめて、せめて、夢の中では、束の間の幸せを感じさせてくれよ。
そんな、誰が聞くこともない、つぶやきをしながら、私は眠りに入っていく。
けれども、そんな望みは打ち砕かれる。
「ぎゃー」
断末魔のような叫び声で目を覚ます。
けれど、気づけば自分の声なのだ。
どんな夢を見たのかはわからない。
でも、心臓が口から飛び出すと思われるほど、左胸で波打ち、水溜りをつくると思われるほど、冷や汗でぐしゃぐしゃになっていることからすれば、いい夢であろうはずはない。
そして、何より、心が痛い。
体のどこがというより、心が、心が張り裂けるほど痛いのだ。
もちろん、私は、いまだ、全能の愛の神という考えに、一縷の望みを持って、昼となく夜となく、教会に行っていた時以上に、「あなたがいるなら、どうぞ、この地獄から救ってください」と呼びかけていた。
けれど、もちろんというべきか、答えが返ってくることはなかった。
そうして、そんな繰り返しの果てに、私は悟った。
神はいないか、あるいはいるとしても、全能なのではなく、ただ遠くから人間の苦境を眺めて同情するだけの弱い神なのだ。
それなら、どちらでも同じことではないか。
だから、神に呼びかけることもできなくなった。
もう、藤堂さんに会うという思いも潰えた。
いつか、全能の愛の神が自分を奇跡的に救ってくれたなら、人々の責めの声を全部、跳ね返すほどに救ってくれたなら、私は堂々と藤堂さんに会って…
でも、そんなことは決して起こらないのだ。
それから、私は、気力がさらになくなっていた。
もう、自殺する気力さえどこにもなかった、私は生ける屍だった。

催眠との出会い1〜2冊の本

催眠との出会いについて書いていこうと思います。

まず、催眠と出会ったのは、中学1年生の時に買った2冊の本です。
この本は、最初、父親のプレゼントとして買ったのですが、父親は包装紙を開けるなり、「何だ、こんなつまらないもの」と言ったので、贈った私の元に戻ってきたのです。

 

2冊とももう私の手元にないのですが、確か、カッパブックスから出ていた、平井富雄という東大の大学教授の書かれた「催眠術」と「自己催眠」というタイトルの本でした。

 

「催眠術」の方は、いわゆる伝統催眠について書かれたものでした。

当時、青春ドラマで催眠をかけるというシーンがあり、左右の手を組み合わせて、親指と人差し指だけ立てて、左右の人差し指を離すところから、

「指がくっついていく、指がくっついていく、指がくっついていく…」という暗示を与えて、実際、指がくっついていくと、「さあ、催眠に入りました」というものがあったのですが、まんま、「催眠術」の本に載っていたのを覚えています。

 

「自己催眠」の方は、シュルツの自律訓練法について、書かれたもので、第1段階から第6段階まであり、自分自身に、「腕が重い、腕が重い、腕が重い」という暗示を与える練習を、結構、一生懸命にしたような気がします。

こちらの本は、「催眠術」に比べると、何だか真面目な感じで面白みが少なかったのですが、それでも、私はなぜか、自分に必要なものと思ったようです。

 

さて、学校で、これら2冊の本を、まだ革の匂いがするピカピカした黒い学生鞄に忍ばせていたところ、同じ班のS君やSさん、Aさんに見つかってしまったのです。

そうして、班学習で、Sさんの家に行った時に、催眠をやってみることになったのです。

そこのところは、小説にも書いたのですが、結局、同じ班の子達は皆、かかったふりをしてくれたようです。

交代して、今度は、友達が私にかけてくれたのですが、私自身は、かかったのかかかっていないのか、演技をしているような、それともさせられているような、不思議な感じでした。

こんな催眠ごっこは、その後、クラス全体に広まり、他の超能力やコックリさんと同じく、一時的なブームで、周りの子たちにとっても私にとっても、過ぎ去って行きました。

「自己催眠」の方は密かに続けてはいたのですが、第2段階の「腕が温かい」という先には進めなくて、これもまた、いつの間にか、諦め、押し入れの奥のおもちゃのように、忘却の彼方に消え去って行ったのです。