9月1日、始業式。
ぼくはやっと親と顔を付き合わせなくてはならない夏休みから解放されると思って、ほっとした。それだけじゃなく、頭の中にはまっちの顔がチラチラと浮かんで学校に行く足取りも軽かった。
夏休み前と変わらない教室に着いて、ぼくは窓側の左の列の一番後ろの席に座った。
窓の白いカーテンがはためいていた、少しだけ秋の匂いが感じられた。
ぼくの前の席はまだいなかったが、「おはよー」と元気な声が鳴り響いて、ちょっと痛いぐらいに背中をバシンと叩くはまっちを、ぼくは想像していた。
けれど、始業式の時間が近づいて来ても、前の席は埋まらない。
ぼくは何だか胸の中に蜘蛛が這っているような気持ちになっていった。
始業式の時も、気になって周りの音が聞こえない。
教室に戻ると、乙姫先生が入ってきた。誰が見てもわかる険しい顔つきだった。
礼の後、先生は口を開いた。また、風がカーテンを揺らした、今度はもう全くの秋の風だった。
「浜崎さんが、ここ2日家に帰っていないそうです。お家の人も探していますが、何か知っていたら教えてください」
また、ぼくの目の前でカーテンが風にあおられて舞い踊った。ぼくは白いブラウスを着たはまっちを見たような気がした。
乙姫先生のことは信用していた。ぼくやはまっちの親とは違うとわかっていた。それでも、言うことはできないと思った、なぜなら、それがぼくとはまっちの秘密の契約だから。
授業に集中しようとしたが、到底できない。ぼくの前の空っぽの席がぼくの胸を引き裂く。
『上地くん…』
頭の中にはまっちの声が響いた。はまっちがそんな呼び方するはずないのに、そんな呼び方をしたことは一度もないのに、声は確かにはまっちの声だった。
授業と授業の間の十分休み、ぼくはもう座っていることができなかった。
はまっちが自分を呼んでる、そんな気がしてならなかった。
みんなは、はまっちがどうしたんだろうとお互い、ひそひそと会話をしていた。
高村君はぼくの方をじっと見ていたが、誰もぼくに「はまっちのことを何か知らない?」と尋ねる子はいなかった。
ぼくはトイレに行くふりをして、階段を降り、渡り廊下を通った。そうして、誰もいないのを見計らって、上履きのまま、裏門に向かって駆け出した。
誰も追ってくるものはいなかった。
風がまた吹いてきて、風だけがぼくとともに一緒に走ってくれていた。
あの小屋に向かって、この世でただ一つのぼくの、いやぼくたちの居場所であるあの小屋に向かって。