私は、ぼーっと何もしないでいることができていると思っていた。だって、1日に一回は瞑想もしているし、瞑想と言ってもただ自分の呼吸を数えているだけのことで、それはすなわち何もしていないことだと。
けれど、無意識さんに教えられたのは、「瞑想をする」という目的があればぼーっと何もしないでいることはできても、何かの目的なしにそうすることはできない、していないということだ。
そう言えば、働いていた時、半年に数回しか休みを取らなかったり、また早く目が覚めるとラッキーと思って起きがけすぐで英語の勉強を始めたりしていた。
そんな状態と比べたら、今は全然違うと思っていたが、それでも1日のうちで空いている隙間時間に、全く何も、読書もゲームも映画を見ることも、当然、瞑想さえもすることをせずにいることに、とてつもない後ろめたさを感じていることに気づかされた。
そうして、そういう隙間時間がないように、いろいろなものをぎゅうぎゅう詰め込もうとしていることにも。
そうやって、どうやら自分は自分で磨耗させ、破壊しているらしい。
本当に、何の目的もなしに、ただぼーっと何もしないでいることは、自分が素のままで、人の評価はもちろん、自分の自分に対する評価からも解き放たれて、何の行動も成果もなしに、無意識さんにあって価値があることを実感する時であるらしい。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い」
あれは無意識さんの言葉だったのね。