ところで、瞑想は続かないという人が多い。
一応、7年間、ほぼ毎日瞑想を続けてきた自分として、瞑想が続かない原因を考えてみる。
ひとつめは、枝葉末節に囚われることだと思う。
瞑想が、特にマインドフルネス瞑想が原始仏教から出ているのは間違いない。
けれど、瞑想をするのに仏教徒になる必要は全くない。いやむしろ、妨げになるとさえ、私は思う。
だから、必要なものだけ取捨選択すればよい。
戒律とか慈悲の瞑想とかそういうものはいらないと思う。
複雑な瞑想の階梯もいらない。
そういうことで、私はシンプルな、数を数える達磨静座法に行き着いた。
ふたつめは、時間に囚われないことだ。
時間など計らなくていい。
瞑想は勉強でも修行でもない。
自分が楽しめる時間だけやればいいのだ。
瞑想をやっていると、頭がスッキリした感じを体験することがあるものだ。
それを楽しみに、やれるだけやればいい。
みっつめは、ひとつめと矛盾するようだが、使えるものはすべて使ってみることが大切だったりする。
例えば、瞑想用座布団、あるのとないのではだいぶ違う。それに、瞑想用アプリ、慣れたら自然いらなくなるが、特に最初のうちは助けになる。さらには、MUSEという脳波を測る瞑想用ガジェット、これも慣れるまでは役に立つ。
という具合になんでも使ってみる。
よっつめは、これが一番大事かもしれない。
瞑想していると、意識が違うことを考えてさまよったり、飛んだり、数字をどこまで数えたかわからなくなることが始終、起こる。
すると、がっかりして瞑想をやめてしまう人がいるが、実は、そこが美味しいところなのだ。
どういうことか?
瞑想をするのは、メタ認知を鍛えて、意識と無意識の統合をしているためならば、そういう集中できない状態に気づくことこそがメタ認知そのものであり、メタ認知の練習になるからだ。
むしろ、集中しているだけならば、メタ認知の練習にも意識と無意識の統合にも何の役にも立っていない。
だから、雑念が湧いてきたと思ったら、しめしめ、これはうまくいっているぞということなのである。
雑念も何も起こらなかったら、神様になるにはいいかもしれないが、何にもなっていないのかもしれない。