無意識さんとともに

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AとBとC 第七回〜哲学科

A1

 

ということで、我がプラトンアカデミアの面々、Y教授を初めとして、哲学科というのは、人間動物園、変人の集まりだと言ってよかった。

 

高校三年生の時、哲学科出身の政経を教えている教師に「哲学科に行きたいのですが」と言ったが、「哲学は斜陽の学問だからやめた方がいい」と言われた。しかし、私は何度、生まれ変わっても哲学科に行くだろう。それどころか、一度卒業したにも関わらず、再び、哲学科に在籍している夢をよく見る。夢の中で、単位が足りなくて卒業できないが、『まあ、一度、卒業しているから卒業できなくてもいいや』などと思っている。どうも、自分の本音としては、永遠に哲学科を卒業したくないらしい。

 

どうして、そこまで哲学科が心地よかったのか。

 

グループが存在すると、必ず、2;6;2の割合で、トップと中間層とトップのストレスを負わされる下位層ができると言う。

しかし、不思議なことに、哲学科にはそういうものがなかった。

哲学科に来る学生は世を捨てたアウトローだったからなのかもしれない。

 

そして、私たちは、朝から晩まで、議論に明け暮れた。

ある時は、外階段で、授業が休講で議論を始め、気がつくとあたりは真っ暗ということもままあった。それでいながら、議論で喧嘩になったことはない。議論を楽しんでいたのだ。そういう経験は残念ながら社会に出てからは一度もなかった。あの楽しさはなかなか忘れられるものではない。

 

まあ、哲学科生と言っても、専門が違えば、お互いの使う用語も異なり、相手の言っていることがわからないので、知ったふうなふりをして議論していることも喧嘩にならない原因であったかも知れない。

 

ある日、哲学科の先輩が真っ青な顔をして目だけ爛々と輝かせて、カリキュラムなどを告知する掲示板の横の粗末なベンチに腰かけていた。

 

何事かと声をかけてみると、ボソッとしかしはっきりと、

「俺は大変なものを発見してしまった」と言う。

「大変なものって何ですか。」

 

「世を救う哲学をついに発見してしまったんだよ。」

 

大真面目に言うその先輩の顔を見て笑う気にはとてもなれなかった。なぜなら、多かれ少なかれ、哲学科生はそういう気持ちを無意識のうちに抱えていたから。

 

社会に出てから、あの先輩の素朴な顔を思い出すと、なぜか、しばしば泣きそうになった。

 

あの先輩は本当は自分を救いたかったのかもしれない。