気づけば、もう高2の冬になっていた。進学のことを考えなければならない時期だった。
文系ということは高2の春に決まっていたが、具体的な学部や学科、大学をある程度、絞る必要がある。
「お前が大学に行くなんて思ってもみなかったよ」
母はそういうふうに言ってきたが、チューターの仕事で貯金を貯めていたからそう言われたところで、僕は揺らぐ必要はない。
職人の父は何も口にしないが、内心、喜んでいるらしい。
僕は、受験期間中もチューターのバイトは継続するつもりだった。そして、大学に入ったら無限塾で講師をしてもいいよと藤堂先生に言われていたから、奨学金を合わせれば家を出てひとり暮らしをすることもできるかもしれない、もちろん、そのことは口が裂けても母には言うつもりはなかったが。
『どこにしようか?』
大学や学部はともかく、学科で迷っていた。
催眠を極めたいということからすれば心理学科なのだろうが、もう少し、広く学んでみたい気もする、そういうことからすれば哲学科だろう。
司書室によくお茶を飲みにくる政経を教えている丹沢先生が、哲学科出身であることを知って相談してみた。
「哲学科!とんでもない。君は哲学が斜陽の学問であることを知っているのですか?」
「ええ、まあ」
「哲学科ほどつぶしが効かないところはありませんよ」
「そうですか?」
「そうですよ、まず大体の企業は哲学科など門前払いです」
「そうなんですね」
僕は丹沢先生に適当に話を合わせ、はぐらかして、話を終わりにした。
そうなのかもしれない、まあ、そうだろうということは薄々わかっていた。哲学科出身でお金持ちだとか、社会的に成功するなどとは、最初から考えてもいない。
そもそも、人にアドバイスを求めること自体間違っているのかもしれない。
『心よ、人にアドバイスを求めることは役に立つの?』
『アドバイスじゃなくて、情報を求めるのは役に立つ場合もあるけど、アドバイスは虐待してくれというのと同じだよ』
心はズバッと言ってくる。自分の人生の肝心なことは、自分で決めなくてはならない。
僕は、あれこれ考えて、京都学派出身の教授たちがいるある私立大学文学部哲学科を志望に入れた。
ところで、同じ図書委員になったのに、はまっちとはほとんど話していない、話を交わしたとしても、挨拶とか図書委員会に関することとかそんなことばかりだ。
けれど、そんな感じなのに、僕の中ではまっちの存在は大きくなってきている。
もう、憧れとか依存とかそんなことではなく、全然違うつながり。
友情でもないつながり。
僕はそれに愛という名をつけたくなったが、やめた方がいいと思った。
言葉は勝手に一人歩きを始め、人を縛ってしまうものだから。
僕は、そんなことをおぼろげに考えていた。