引越しの時も、ぼくは憂鬱だった。なんと言っても、住み慣れた町を捨てて知らないところに行くのだから。と言っても、生まれた時から住んでいたというわけではなく、3回目の引っ越しだったけれど。
小学校では、ぼくのような者でも友達がいた。というか、ぼくのような変人を先生もみんなも博士と呼んでそれなりに評価して受け入れてくれていたのだ。
と言っても、生まれつき変人という人間があろうはずはない。周りの人間に変人と言われて、初めて自分が変人と自覚するのだろう。
自分が変人だと自覚し始めたのは、小学校1年生の作文の時間だった。
父の日だったか、父親について書きなさいと言われて、こんな作文を書いた。
…お父さんは、タバコを吸います。ぼくはタバコは健康に悪いと聞いたので、家中のタバコを集めて天井裏に隠してしまいました。お父さんは、仕事から帰ってくると、「タバコがない、タバコがない」と言って涙をたらしながらタバコをさがしました。ぼくはかわいそうになって、天井裏からタバコをとってきてあげました。お父さんは喜びのあまり飛び上がって、天井に穴があいてしまいました。…
うすら覚えだが、先生は怒って、廊下に立たされた。
まだある。今度は、小3の時、初めて漱石を読んだのだが、ぼくは何だか漱石にハマってしまった。それで、国語の時間にこんな出たしの詩を書いた。
…漱石君は我輩の友人である
彼は胃痛に苦しんでおった…
教師に妄想狂と言われた記憶がある。ずいぶんとひどい言葉を言われたものだ。
そんなことで、無事にぼくは自分が変人だということを自覚し始め、母親はそれ以降、ぼくに作文を自分で書かせないようにした。代わりに、「今日はとても静か。どうしてこんなに静かなんだろう。お母さんが雪が降っているからよ…」などという、母親が書いた作文を提出するようになった。
そんなぼくは、だんだん、自分はこの世界で受け入れられない人間のような気がしてしまっていた。それで、小4になると頂点に達し、何をどうしても学校に行けなくなってしまった。立派な登校拒否である。母親は、大学を出たての若い担任の先生に相談したが、「困っちゃうな」というばかりだったと言う。
ところが、小5になると、担任の先生がかわったのだ。