「あなたは何歳になっても私の子どもなの。お母さんはいつもあなたのことを思って、いつもあなたのために祈っているわ。あなたを愛しているわ」
これを読んでどう思ったでしょうか?
『ああ、何ていいお母さん。私もこんなお母さんが欲しかったなあ」とか思ったら、相当、重症。
読んで何も思わなかったら、やはりそれなりのもの。
『げっ、気持ち悪い』と思ったあなた、おめでとう!
「女よ、あなたは私と何の関係があるのか?」
これはイエスが言った言葉ですが、「女」とは誰でしょう?
「母親のマリヤ」、ピンポーン、正解です。
この言葉からは、母親と徹底的に距離を置いた感じが受け取れる。「何の関係があるのか」なんて、普通に考えたら冷たすぎる態度じゃないかと思うでしょう。
でも、これが健全な母と子の関係。
そして、これを健全な関係とすれば、冒頭の母親の言葉は、まさしく母の呪いであり、母の支配。
毒親だったら、もしかしたら、ある意味、幸い。なぜなら、母親とのいまだ残る精神的な臍の緒を断ちやすいから。
でも、毒親でも、『何で私の気持ちわかってくれないの?』というところに留まっているなら、そうでもないかもしれないけど。
良い母親だったら、これはもう大変。
居心地のいい、生暖かい繭のような母の支配の中から抜け出せなくて、結局、永遠に蝶になれず、羽ばたけず、そこで一生を終えることもあるかも。
良い母親の子どもの優等生が心の病を起こしやすいのもそれが原因かもね。
どちらにしても、空を自由に羽ばたきたかったら、母の呪いと支配を食いちぎり、外に出て、追いすがる母親に、イエスのように、「女よ、あなたは私と何の関係があるのか」と振り払うことが必要なのかも。