ぼくは、ただ長いこと黙っていた。
「大変だね」とか「つらいね」とか言う言葉が心をよぎったが、そんな言葉ははまっちを侮辱する言葉のような気がした。
沈黙を破るようにして、はまっちが言った。
「じゃあ、次はうえっちの番だよ」
「…」
「同じにおいがするもの。わかるの」
「においって?」
ぼくは何となく分かっているのにあえて尋ねた。
「同じ側の人間ってこと」
何か胃の奥からこみあげてくるような気がして、ぼくは体を折り曲げた。
背中に温かいものを感じて、顔を上げると、はまっちが背中をさすっていた。
ぼくが求めてやまなかったものをはまっちが今してくれている…ぼくは自分が病気の時のことを思い出さずにはいられなかった。
石で塞いだ井戸から水が滲み出るように、言葉が口から出てきた。
「ぼくがまだ小さい頃、病気になった時、苦しくて背中をさすってもらいたくて…でもお母さんはずっとぼくが病気になったことを責め続けて。それで、もっと苦しくなって、『背中をさすって』と言ったんだ。でも、お母さんは逆ギレして、『何でわたしがそんなことしなくちゃならないの』と激怒して…」
ぼくは、小さい自分に戻ったように、苦しくてたまらなくなった。
「もういいわ。わかってるから、それ以上言わなくて大丈夫」
情けないことに、自分の目から涙が溢れてきた。ぼくははまっちに見られないように、手でごしごしと拭ったが、次から次から溢れてきて止めようがなかった。
はまっちはもう何も言わずに、ただ背中をさすっていた。
ぼくはずるいことにもこの時間が永遠に続くことを願った。
…
実際のところ、ぼくの母親はネグレクトで過干渉だった。
小さな頃から、まともに3食、食事が出たことはなかった。出るとしても、母親好みのやたら塩分と糖分の濃い味付けの料理だった。
そんな具合だから、ぼくは幼い時、いつも大きな緑と白のマーブル模様の円筒形の大きな缶を持たされていた。中には、おせんべいやビスケットやら、お菓子が入っていて、ぼくは食事がわりに缶から取り出して食べていた。
「小さい時は、手がかからずいい子だったのよ。お菓子の缶を持たせておけば、何も言わず、大人しくしてくれていたんだから」
でも、ただ、放置されていただけではない。母親はある面では強いこだわりを見せた。
例えば、服。ぼくは、下着にいたるまで、母親の気にいるものを身に付けなければならなかった。自分の好きなものは決して買ってもらえず、母親はぼくに着せたいものを探して、ひとつのものを選ぶのに、5、6時間ずつ3日ぐらい、店から店へぼくを連れまわした。
…