実際のところ、はまっちを秘密基地に誘うというチャンスはなかなかやってこなかった。
他の女の子たちに囲まれて、笑ったり冗談を言ったりしている姿を見ていると、あの時、図書室で見て一緒に帰った女の子は別人ではなかったのだろうかという気がした。さらに、相変わらず、毎朝、はまっちは「おはよー」と言って、ぼくの背中を思い切り叩くのだから、ますますぼくの白昼夢かもしれないと思わずにはいられなかったのだ。
ところが、ぼくがほとんど忘れかけた頃、チャンスはめぐって来た。
ぼくとはまっちは日直になった。
黒板を雑巾できれいに拭いて、はまっちが日直日誌をつけ、ぼくが黒板に明日の日直当番の名前を書き込んでいると、はまっちはふいに顔をあげた。
「今日、秘密基地に行かない?」
気がつくと、教室には誰もいなかった。ぼくは何だか動揺してしまった、そしてはまっちの顔があの女の子の顔になっていることに気がついた。
「…いいよ」
何だか、親にも友達にも決して言えないとても悪いことをしているような気持ちがした。でも、深い森に吸い込まれていくような心地よい眩暈も感じていた。
教室には、赤い西陽がさしていた。
ぼくは、机の中の教科書やら筆箱やら、ざっと擦り切れかかったキャンバス地のバッグに投げ込むと、彼女を待っていた。
彼女は、きちんと揃えて、紺色の布バッグに入れていく。指先の動きを、ぼくはぼうっと見つめてしまっていた。
「お待たせ」
これから、秘密基地に行くというのに、はまっちは何だか寂しそうな表情を浮かべた。
彼女の髪が揺れた。
ぼくたちは無言で校門を出て、帰る方向と真逆の左に曲がり、さらにもう一回右に曲がって、バス通りの右側を左にだらだらと歩いて行った。
…
はまっちが急に囁き声で言う。
「一緒に帰るの、2回目だね」
ぼくは言葉が出なくて、ようやく首だけ縦にうなずいた。
…
「家の人、心配しないの?」
「誰も心配しない、うえっちは?」
「心配なんかしないよ」
…
そうしているうちに、国立病院の正門が見えてきた。日が暮れて来て、ちょっと薄暗く見える。奥には、鬱蒼と生えている森も見える。ほんとに森に吸い込まれてしまいそうだ。
「ピーナッツか、柿の種か持っていない?」
「お菓子欲しかった?、秘密基地になんか置いてあるかも」
「ううん、そうじゃなくて、目印に少しずつ地面に落として行かないと二度と帰れないような気がするから」
「ヘンゼルとグレーテル?」
「そう」
はまっちはいたずらっぽい笑みを浮かべた、その笑みはぼくを一瞬安心させたが、すぐに笑みは消えて、また寂しそうな表情に戻って行った。
ぼくたちは本物のヘンゼルとグレーテルだったのかもしれない。