『福笑い』という歌がある。
「きっと世界の共通言語は、英語じゃなくて、笑いだと思う」
笑いほど、おかしなものはない。
笑いは、いったい何の役にたつのか?
何の役にもたちはしないだろう。
笑いは何かのために存在しているのではない。
笑いはただそこにある。
けれども、笑おうと思っても笑えるものでもない。
笑いはふいに訪れ、またふいに去ってしまう。どこから来てどこへ行くのかわからない。そういう意味では風に似ているのかもしれない。
お笑い芸人は笑いを取ろうと必死になるが、必死になればなるほど、笑いは去っていく。
笑いを取ろうなんていう思いを手放した時に、奇跡のように笑いは姿を見せる。
だから、笑いは究極の催眠なのかもしれない。
笑って、人はストレスを発散し、リラックスし、一体感を感じ、幸福を味わう。
笑うところに、命があり、躍動があり、柔軟性がある
しかめ面に、死があり、固定があり、硬直性がある。
真面目な哲学や宗教には笑いがない。
笑ったのである、ブッダは微笑み、イエスは弾けるように大笑いした。
彼らの弟子たちはしかめ面に沈んで、再び支配に戻っていったにしても。
笑いの饗宴はそこにあった、幸福はそこに満ちていた。
笑いよ、噴き上がれ、今ここに私に、再び。