人間は、物語なしには生きられない。
そして、人間は、物語を通して、世界を、人間を、自分自身を見る。
物語というのは、外から与えられる物語もあれば、自分で創り出す物語もある。
ブッダやイエスが語ったのは、新たに創り出された解放の物語だったが、弟子たちや教団は、ただそれだけが正しいと信じ込まされる支配の物語に変えてしまった。
宗教とは、実にこの支配の物語である。
宗教が厄介なのは、ただこの物語だけが正しいという唯一絶対的な排他性にあるだけではなく、物語の目的が支配者の支配のためにあるということだ。
宗教の物語の中では、ブッダやイエスの解放の物語は跡形もなく変形され、あるかないかわからないような痕跡しかない。
いわば、宗教の物語の中では、ブッダやイエスは殺されたままなのだ。
だから、私は、外から与えられる物語を信じ込むのではなく、どんなに幼稚であっても、無意識さんを通して、日々、自分で自分の物語を語っていくしかないのかもしれない。