塾を出て、家への道をとぼとぼ歩く。
目の前に畑が見えてくる。大家の山崎さんの畑だと聞いたことがある。
暗い中を、街灯がひとつだけあってそこだけぼうっと明るい。
「うえちくん」
いきなり名前を呼ばれて、よく目を凝らしてみると、街灯の下に確かに人影がある。
少し近寄ってみると、佐伯さんだった。
「お前、こんなところで何をしてるんだよ」
佐伯さんだと思うと、ついぞんざいな言葉になるが、その訳は自分でもわからない。
「何って、上地君を待っていた」
こうして見てみると、佐伯さんの瞳って猫の目のようだ。『キャッツアイ』。子犬のように見えたり、猫のように見えたり忙しいやつだ。
「もう遅いだろ、こんなところで女の子ひとりでいると危ないよ。早く帰りなよ。途中まで送ってあげるから」
「とても気になって…理想の君…浜崎さんだったけ、どうだったの?」
「どうだったと言われても、時間もなかったし、大したことは話していない」
今度、会う約束をしていることは言ってはいけない気がしてならなかった。
「そっか、あの人、かわいいね。いきなり、上地君の手をみんなの前でとるなんて」
何だか、言葉の前後の辻褄があっていないようだった。
「そうだな」
「やっぱり、そう。久しぶりにあった男の子の手をとるなんて、なかなかできない」
「そうかもね」
ぼくは肩をすくめていた。
「上地君は、あの人と付き合うの?」
こいつは何でそんなことを言うんだろう。
「まだ、わからない」
「まだ…ね。『まだ、わからない』なら、それなら、私と付き合ってくれない?」
猫の目でぼくをじっと見つめてくる。視線に吸い込まれそうだ。けれど、ぼくは懸命に振り解いた。
「お前、何をふざけているんだよ。からかっているんだろ」
佐伯さんはちょっと俯いて、しばらく黙っていた。
それから、顔をあげた。いつもの佐伯さんがそこにいた。
「そうそう、ちょっとからかいたくなって。だって、部長、幸せそうで。ちょっとからかってみたくなるじゃない?それで言ってみたわけ」
「お前、ふざけんなよ」
「ごめんね。でももしかしたら、部長、わたしにときめいて、心揺れちゃったりした?」
「さあ、どうだろう?」
「こんなにかわいい子の誘い、断っちゃって『しまった』と思ってる?」
「そうだな、ちょっとはね」
「やさしいんだね」
それから、ぼくは自分の言ったとおり、佐伯さんを送って行った、途中まで。
新青梅街道には車がこの時間でも行き交っていた。
「もう、ここで」
佐伯さんは、歩道橋の階段を上っていったが、途中で振り返った。
「上地君が好き、でも嘘だから、嘘だから、嘘だから」
ぼくは何も言えなかった。ただ、佐伯さんの姿が見えなくなるまで、見守っていただけだった。