無意識さんとともに

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極悪人ですが、何か

私の父はタイル職人だったが、仕事が順調にうまくいくと、不動産業に手を出した。それで、2度、失敗して、持っていた家も手放さなければならなかった。

父は、人に厳しいことを全く言えない人だった。

「相手の人に悪い」というのが口癖で、それで人に厳しいことを言わなければならないことになると、そのことから逃げ回っていた。少なくとも、それが失敗の原因のひとつかもしれない。

とにかく、人に善人に思われたくて、それが何よりも優先していたと思う。

気がつくと、私も、形は違っても、父と同じようなことをやってきたのかもしれない。

人生で、自分を大安売りしてきた。

塾や予備校で、生徒を合格させるために、頼まれもしないのに無料で補習してきた。休日もろくすっぽ、休まなかった。

それで、生徒は合格したが、自分は摩耗し、ついには病気にもなった。鬱になり、未遂も3度して、死の顔を見かけるところまでいった。

そうであっても、善人の仮面を手放せなかったのは、自分が神になりたかったからだと思う。

人に給料分を遥かに超えることを与えて、人に貸しをつくって、その貸しで優越感を持ちたかったのだと思う。

こんなに優れた私が、正当な代価も取らずに、あなたのためにここまでしてあげているのだから、尊敬して愛してくれるのは当然だと感じていたに違いない。

何もそれは仕事のことばかりではない、人生のいろいろなことにわたってそうだった。

今、オンラインカウンセリングを開業しようとしているが、ここでも同じ問題が立ち現れてくる。

できれば無料で、無料でなければできるだけ安い金額をつけたくなってしまう。

当然、もらうべき正当な代価をつけるのがなかなか難しい。

どうしても、善人面、聖人面をつけてしまいたくなる、そうして、心の中には、『そんなふうにしてあげてるのだから、足りない分は、尊敬と愛で支払ってね』という気持ちが渦巻く。

けれど、いい加減、そういうところから脱するように、無意識さんは言ってくる。

「極悪人になれ」と言ってくる。

極悪人にならなければ、私は正当な代価を要求することもできない、だから「極悪人になれ」と。

そして、人にも自分にも、こう言ってやれと。

「極悪人ですが、何か」