自分とずっと争って、戦争してきた気がします。
そうして、自分以外の誰か、親とか神とか他の人とかと和解するために、このままの自分ではいけない、自分を変えなくちゃいけないと思ってきた気がするんです。
でも、心に支配と邪魔を排除してもらって、催眠に入ってトランスの中でもうひとりの自分である無意識さんと対面して、ああ、自分が和解するのは、自分が和解して仲良くするのは、親でも神でも人でもなく、自分自身だと分かった気がするんです。
自分はこのままではいけない、自分を変えなくちゃいけないとずっと焦ってきたんですが、それって、自分と争ってきたことと同じことなんですね。
自分自身を嫌って、自分以外の誰かにならないと、親や神や人に受け入れてもらえないとそう思ってきたんですね。
でも、親や神や人に受け入れてもらうことが大切なんじゃないんですね、それは支配されるってことですから。
そうではなく、自分で自分を受け入れる、それが大切なのかもしれないなあって気づいたんです。
自分の意識では、自分がちっとも変わらないなあと思ったりします。
でも、意識の望む変化って、この私じゃなくなる変化っていうことなのかもしれません。私が私でないものに、親や神や人に賞賛を浴びるそういう変化、支配者が拍手してくれるようなそういう変化なのかもしれません。
けれど、無意識さんが起こす変化って、足し算ではなく引き算の、支配者に支配されて、自分が自分以外のものになろうとしてやまない私が、私にかえる、本来の私にかえるそういう変化なんですね。
その先にあるのは、神や親や人との和解ではなくて、自分自身との和解であり、もう違う自分になることをやめて自分でいることに安息する、自分を全肯定できる自分になることなんですね。
もう、焦って、神になる必要もなく、善人になる必要もなく、悪魔になる必要もなく、悪人になる必要もなく、
私は私のままで、ただ、深淵を通して、無色透明の自分を見るだけ、そんな日々が待っているんですね。