無意識さんとともに

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鬱からの回復(回復へのロードマップ)19 心は嘘をつくのか?

「心に聞くこと」ができるようになった時、うれしくて舞い上がって何でも心に聞いていました。

 

けれど、心の言うことは当たったり、はずれたりすることもあったのです。

そればかりか、心に嘘をつかれているように感じることもありました。

例えば、人生に関する重要な選択肢があって、どちらを選んだ方がいいのかと尋ねて、心がこちらといった方を選ぶと、とんでもないことになったりすることもあったのです。

 

一体、心は嘘をつくことがあるのでしょうか?

 

支配者は、全力で心への信頼を損なおうとしてきます。

なぜなら、人が心を信頼するなら、それはすなわち、支配者の支配を抜け出ることを意味するからです。

 

支配者が心の信頼を損なうためにとる戦略は2つあります。

 

1つめは心への過小評価で、2つめは心への過大評価です。

 

1つめを見てみましょう。

 

例えば、

聖書ではこう言われています。

「人の心は何より陰険でそれはなおらない」
さらに、親鸞もこう言っています。
「心は蛇蝎のごとくなり」

こうして、宗教という支配者は心への信頼を取り去ろうとします。宗教からすれば、心を信頼して心の声を聞くことというのはありえないこと、心が嘘をつくことはさも当然のこととなるわけです。

他にも、「無意識(=心)は単なるメタファーであって事実ではない」と人に言われたこともあります。

私はこの言い方にとんでもない違和感を感じました。

Y先生がそう言っていると言われるのですが、後でY先生の本を入手してよくよく読んでみると、無意識はメタファーでもあると言っているのであって、事実ではないとは書いてありませんでした。

そのように、支配者は、99%の本当のことに1%の嘘を混ぜ込んできます。

この1%の嘘によって、心への信頼を破壊してくるのです。

 

2つめを見てみましょう。

 

こちらは、心(=無意識)を過大評価させます。

過大評価というのは、心が神や予言者や占い師や超能力者や霊能者であるかのように信じさせようとしてくるのです。

心は、本来のあなた自身であって、全知全能の神ではありません、予言者でもなければ、占い師でもなければ、超能力者でも霊能者でもないのです。

心には、確かに、無限の知恵と力をリソースとして持っていますが、未来のこと、他人のことを知りません。

 

心が、神や予言者や占い師や超能力者や霊能者なら、私は心に従わなければならないのです。心は上で、この意識の私は下です。それは盲目的な信仰であって、相互的な信頼ではありません。

そうして、下は上に従って、ついには下は上に吸収されるのです。

でも、それって、まさに支配であって、私が心に支配されるということになるのです。

 

心は、神でも予言者でも占い師でも超能力者でも霊能者でもなく、本来の私であって、私と対等なのです。心と意識の私に上下はありません。

ですから、意識と無意識の統合とは、意識が上で下の無意識を利用することでないのはもちろんのこと、無意識が上で下の意識を吸収することでもないのです。

そうではなく、意識と無意識が、対等に、親友としてお互いをよく知って付き合っていくことなのです。

心が願っているのは、盲目的な信仰ではなくて、相互的な信頼なのです。

 

この1つめと2つめは別のことではありません。大抵は、2つめから1つめという順序をとります。

 

どういうことかというと、

たとえ、「心よ」と呼びかけたとしても、まるで心を神や予言者や占い師や超能力者や霊能者として扱い、未来のことや他の人のことを尋ねるなら、

そこにいるのは、心ではなく、心のふりをした支配者なのです。

 

支配者は、当然、嘘をつきます。

(もし、支配者ではなく、心が答えていたら、未来のことや他の人のことを尋ねられても、「わからない」と答えるでしょう。あるいは沈黙のままかもしれません)

だから、その答えが嘘だと、はずれだとわかれば、支配者は、心への信頼を破壊することができるのです。

 

時には、未来のことや他の人のことについて尋ねられて、心に扮装した支配者が言うことが当ることもあります。

それならそれで、心に扮装した支配者をますます過大評価させて、自分の支配の中に引き戻していくのです。
まさにダブルバインドで、支配者はこのダブルバインドをよく使うものなのかもしれません。

心は嘘をつきません。嘘をつくのは心になりすました支配者なのです。

 

では、どうしたらいいのでしょうか?

自分のことを考えてみると、心に聞くことを心に邪魔や支配を排除してもらうことより重視していた時には、心になりすました支配者に嘘をつかれて欺かれることが多かったと思います。

けれど、心に邪魔や支配を排除してもらうことを心に聞くことより重視するようになってからは、そういうことはほとんどなくなったと思います。

 

そもそも、心に邪魔や支配を排除してもらうことが進んでくると、未来や他人のことについてことさらに尋ねたいと思わなくなるのかもしれませんし、

たとえ尋ねても、「わからない」とか沈黙を、自分の人生を自分で選択して生きて、自分の物語を創ることを心が促していると感じるようになっているのかもしれません。

追記
未来のことや他人のことについて、心は原則として答えないと思いますが、特に、人を援助するカウンセリングの場などで答えることもあります。
けれど、それは例外的なことですし、あくまで参考意見に留めたほうがいいと思います。
未来や他人のことについて知りたがることそのものが、支配者の誘惑であることを示しているのかもしれません。

未来や他人のことに全く知りたいと思わないその冷静な無関心の時に、人を援助する場面で、例外的に、心が教えてくれることもあるのかもしれません。

だから、ここでも、「人のことはわからない、自分のことさえわからない」というY先生の言葉が一切の欺きと支配を遠ざける大切なものだと痛感するのです。