(これはフィクションです。登場人物など現実のものとは関わりがありません。)
祈ってもらったところで、いつもと同じように一瞬の高揚はあるが、長続きはしない。
母の爆弾は、私の心に投げ込まれ続ける。
けれど、そうして、落ち込むたびに、最初はためらいつつだったが、光姉妹にメールをかけては電話をして祈ってもらう。
そんなことの繰り返しだった。
彼女は、嫌な声ひとつせずに、むしろ喜んで祈ってくれる。
ただ、そのうち、私が祈ってもらうばかりなのはどうなのかと思うようになった。
いつものように、机の前の椅子に座る。腕時計を見ると、きっかり7時になっている。
「もしもし」
「お電話待っていました。主の御名を賛美します」
「主の御名を賛美します」
私もあわててそう言った。これはクリスチャン同士の挨拶のようなものだ。
「では、今日も祈らせてください。パサラサムナタマサラタムナ…」
光の異言を聞きながら、私は何だか体が火照るような気がした。それがお祈りのせいなのか、別のものなのかはその時はわからなかった。
「光さん、今日はあなたのためにも祈らせてくださいませんか?」
「えっ?」
彼女はちょっとたじろいだようだった。
私は、『光さん』と呼んだのがまずかったのかと思った。
「光姉妹、私にも祈らせてほしいんです」
「そうですか…」
だいぶ沈黙があった。私は心が爆ぜる思いがした。
「それなら、私は今、とっても苦しんです」
「何が苦しいんですか?」
「知っておられるように、智昭兄弟、私の家はクリスチャンホームです。父も母も、兄弟も、親戚も全部クリスチャンです」
「はい」
私自身は、成人してから教会に行って洗礼を受けたので、クリスチャンホームというのは羨ましいものでしかない。
「時々、呼吸ができなくなるような気持ちに駆られるんです。クオヴァディスって知っていますか?」
「はい、確か、初代キリスト教徒の少女とローマの軍人の恋愛物語でしたよね」
私は、うろ覚えの知識を脳内から引きずり出した。
「家に、小説をもとにした漫画があったんです。それを小さな頃、読んだんですが…」
「ええ」
「キリスト教徒たちが、皇帝ネロによって迫害されて、生きたまま木に吊るされて、街灯の代わりに火をつけられてもがき苦しむその場面があって…その場面がいつまでも、今も、頭から消えないんです」
私は想像するしかなかった。小さな女の子が、漫画とは言え、そんな残虐な場面を見ているシーンを。しかも、自分もクリスチャンで…この世はサタンの支配下にあると、聖書では教えられている。
「私もいつか、あの場面のように、迫害されて、殺されていくのかと思うと、いてもたってもいられないんです」
電話の向こうから、啜り泣くような声が聞こえる。
私も、いつの間にか、泣いていた。