支配者も、マインドコントロールという催眠を使います。
支配者はあくまで人間です。全能の神でも、強大な力を持つ悪魔でもありません。
だから、直接、心に侵入して支配することはできません。
支配者が支配するのは、心を直接、支配するのではなく、私たちが信じる物語を一部書き換えることによっておこなうのです。
例えば、私は、自分に才能がある、自分が美しい、自分は無意識さんと近い…などと思っているとします。
そう思っていることは真実ですが、支配者はそこにわずかの嘘を混ぜ込みます。
私は才能があるから、かえって成功できない
私は美しいから、かえって幸せになれない
私は無意識さんに近いから、かえって支配者に狙われる…などと。
前半は真実ですが、後半とは必ずしもつながらず、後半は嘘そのものです。
これが、支配者のマインドコントロールであり、催眠なのです。
幼くして亡くなった子供のことを『神に愛されていたから早く召された』とか、美人薄明とか、天才が早死にするとかも同じことです。
支配者は私たちの物語を書き換えて、99%の真実と1%の嘘の入った毒饅頭にするのです。
そういう悲劇的な物語は、美しく、人を酔わせる、美味しい毒饅頭なのです。
こういう物語の中では、支配者は、ものすごく強大です。
支配者の邪魔と支配を無意識さんに何百回となくお願いしても、支配者の支配はさらに強くなっていくようです。
実際、こういう改変された物語の中では、私たちは支配者に勝ち目がないのです。
なぜなら、支配者が強大である物語を、私たちが信じ込んでいるのですから。
例えば、聖書を読むと、悪魔がいかに強大なものであるか、いやというほど書かれていますが、私から言わせれば、これは支配者によって嘘が混ぜ込まれた真実の物語であるからに他なりません。
ではどうしたらいいのでしょうか?
そういう美味しい毒饅頭を吐き出すのです。
どんなに真実があってもわずかの嘘が混ぜ込んだ物語を捨て去るのです。
もちろん、そういう物語を捨て去ると、もう自分は生きていけない、生きがいが何かわからない、死ぬような気持ちになるかもしれません。
けれど、それらもみんな、外から、支配者が吹き込まれたものでしかありません。
そういう物語を捨て去って、これからは、日々、無意識さんに、自分のための物語をつくってもらうのです。
自分のための物語ですから、私は自分の書きたいように、自分の人生の物語を生きていくことができるのです。
そのような、自分の物語を生きていく中であっても、支配者の支配に出会うことはあるでしょう。
けれど、その時は、もはや、支配者というのは、路上に転がる石ころのようなものなのです。
わざわざ、その石ころに足をぶつければ、痛いし、血も出るでしょうが、もはやそんな必要はないのです。
私は、石をまたいで、先へと進んでいきます。
私が自分のためにつくった物語の中では、何があっても、どんな道を通っても、私が勝利者であることは決まっているのです。
なぜなら、無意識さんが私のためにつくった物語ですから。