O先生は簡潔明瞭に答えた。
「いや、キリスト教の限界ではなく、支配です」
私は、目の前が真っ暗になった。
後から考えると、それは太陽の光に照らされて、真っ暗になったのかもしれない。
けれど、その時には、本当に真っ暗だった。
もし、神と人間との親子関係も限界ではなく、支配なら、神を父と呼んで済ますような逃れ道ももはやないことになるのだ。
もはや、私はどんな形でもキリスト教の中にとどまることはできない、支配から完全に逃れたいならば。
もちろん、今、考えると、そうではないキリスト教との関わりが、宗教との関わりがあるのかもしれない。
そう、他の人にはあるのかもしれない、それは否定はできない。
けれども、私についてはそうではないのだ。
だから、O先生は端的に、はっきりと、間違えようもないように言ったのだ。
…
それでも、私は、心のどこかで抵抗していた。
キリスト教との関係がプッツリと切れたとしても、そうだ、イエスとキリスト教は違うのだ、これからは、自分をクリスチャンではなく、イエスチャンと呼ぶことにしようと思っていた。
けれども、イエスとキリスト教を完全に分けようとするその試みもまた、無理な話であったのかもしれない。
何より、私の動機は、どんな形であれ、少しでもキリスト教に関係のあることの中に留まりたいというものであったから。
そうして、その動機は、きっと支配者から入れられた思いなのだ。
その臍の緒のようなものを真っ二つに切ってしま分ければ、完全に楽になることはできないんじゃないかと思い詰めてもいた。
私は、何週間もこのことで苦しんだあげく、ある日の夜、ずっと使ったこともなかった携帯の電源を入れた。
何を考えることもなく、電話番号を押していく。頭ではもうすっかり電話番号を忘れているつもりだったが、不思議なことに指先は勝手に動いていく。
呼び出し音が数回なった。
その時になって、私はお願いだから出ないでくれという矛盾した思いが頭をよぎった。
けれども、もう手遅れだった。
「もし、もし、神崎さんなの?」
「…」
次の言葉が出てこない。
「ずっと待っていたのよ、あれからずっと」
もう数年が経っていた。それなのに。
「うん」
ようやく絞り出すように声を出した。
「うん」
向こうもうなずきの言葉だけ繰り返す。
「私は、私は…キリスト教からも、神様からも、イエスからも…離れたんだ」
沈黙があった。どんなことを言われるのか、断頭台に立っているようだ。
「そんなこと関係ないわ」
「関係ない?」
ホッとしながらも、予想外の言葉に体が震える。
「今、どこにいるの?これからでも、会いましょう」
藤堂さんは静かにそう言った。